■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書20章14節

★彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。

16節

★イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。

■O:今日のコラム
今日のヨハネ20章は、イエス様の復活が記された箇所です。

マグダラのマリヤは墓から石が取りのけられるのを見たため、弟子に伝えたところ、弟子も慌てて墓へと向かい、確かにイエスがいないことを確認しました。しかし、よみがえりを理解できず、10節には、「弟子はまた自分のところに帰って行った。」とあります。

愛するイエス様がいなくなってしまい、復活を理解できない弟子たちにとって大きな悲しみと失望があったと思います。いなくなってしまい、もはやとどまり続けることができませんでした。

それに対して、マリヤは、「しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。」(11節)とあるように、その場所にとどまり続けました。帰るところもなく、ただ主に心を向けていたのです。

さて、ここで復活の主と一番はじめに出会った人は誰だったのでしょうか?それはこのマグダラのマリヤでありました。マグダラのマリヤは、十字架にかかる時も埋葬の時にイエス様を見守り、そして、墓から石が取りのけてあるのを見た人物です。(マルコ15:40,47、ヨハネ20:1)

そばに居続けること、とどまり続けること、これは状況や条件に応じて変わってしまうものではなく、神様の愛する姿そのものであることを学ぶことができます。その者に、イエス様は、父の御心の十字架の道を進む姿、また復活という父の御心の全うまでも、現してくださいました。生き様をそばで見せてくださったのです。

「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。」(箴言8:17)

では復活したイエス様とマリヤはどのように出会ったのでしょうか。それが今日の箇所になります。

マリヤは、復活のイエス様の姿を見たのです。しかし、それがイエスであることが分からなかったとあります。何によってイエスをイエスと悟ったのでしょう?それは「声」によってでした。

求めている方が目の前にいるのに分からない、そのことを思う時に目にみえる姿、形を求めていくこと以上に、神様のご性質は声であり、言葉であるということが改めてはっきりと示されました。(ヨハネ1:1)

マリヤは、イエス様のそばにいて、この方の声を聞き、イエス様の声というイエス様ご自身にふれ続けたから、目でみて信じられなくても、声を聞いて、イエス様だと分かったのではないでしょうか。

「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(第二コリント4:18)

見えるものに信仰をおき、現象や形でイエス様がたしかにここにいる!と信じる者でなく、朽ちることのない変わることのない、イエス様の声に信仰を置くものでありたいと願います。

■A:考えてみよう
マリヤはいつも声にふれていたからこそ、この声を聞いてイエス様と分かったのだと思います。今日も耳が主の声を聞く耳として開かれるように祈り求めましょう。

「羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。」(ヨハネ10:3b)

「わたしは、良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。」(ヨハネ10:14)

今日この記事を読んでくださっているお一人一人に置かれている状況や、見えるところは違うと思います。しかし、どのようなところであっても、まるでイエス様がいなくなってしまうような時を通る時であっても、ともに主のもとにとどまり続けていきましょう。

見えるもの以上に、今日もイエス様の御口から出る声によって、主と出会いたいと心から願います。御声を聞く者が生きる者となることを感謝します。

■P:祈り

愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ゆうこ 】

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