■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書15章3節

★あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。

■O:今日のコラム
ヨハネの福音書15章にはぶどうの木と枝のたとえが記されていますが、この章を通して私たちはイエス様を離れては何も出来ないことを知り、まことのぶどうの木なるイエス様にとどまる時にのみ豊かな実を結ぶ者となることがわかります。

父なる神は農夫としてたとえられており、父は私たちが神の御心にかなった実を豊かに結ぶ者となるために、刈り込みをなさいます。刈り込みは私たちの肉の性質にとっては嬉しく感じられないものです。これを別の言葉で言うなら「懲らしめ」です。

しかし、父なる神がなされる刈り込み、懲らしめには重要な目的があります。それは「主の聖さにあずかる」ようになり、またその結果「平安な義の実を結ぶ」ようになることです。

「なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(ヘブル12:10~11)

では父が刈り込みをするために使われるのが、鋭い切れ味を持つ神の御言葉です。イエス様は、「あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。」と言われていますが、この「もうきよい」とは「刈り込み済み」という意味があります。さらに別の訳には「既にきよくされている」と記されています。

私たちが「すでにきよい」と主が言われる基準に立って生きる為に、主の御言葉の剣によって、私たちの考えや心の中から、間違った思考パターンが刈り取られて行く必要があります。

私たちの思考の中には、罪や失敗による恥の思いや罪責感や挫折感があり、また逆に罪を楽しく魅力的に感じる満たされない肉の思いなどが入り混じっています。その結果、私たちの思いはむなしくなり、心は暗くなってしまいます(ローマ1:21参照)。そのむなしく、暗い思いがキリストから私たちを引き離し、私たちを罪の生活の中にとどまらせてしまうのです。

この様な生き方から自由になる為には、キリストの贖いの恵みが、私たちの霊の内からあふれ、思考や心の領域、ついには肉体の領域まで臨んでいく必要があります。

「このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。」(ローマ6:11)

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)

思うこと、心の一新をすることは、キリスト者として非常に重要な歩みです。御言葉を黙想して、不義の思いが刈り取られ、私たちの心と思いとがキリストに繋がり実を結ぶことを追い求めてまいりましょう。

■A:考えてみよう
神の義を持って生きる為に、以下の御言葉を繰り返し朗読し、思い巡らし、黙想しましょう。

「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(第2コリント5:21)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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