■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書10章1~5節

★まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。

■O:今日のコラム
私たちは羊であり、イエス様は私たちの羊飼いです。ダビデは詩篇23篇で「主は私の羊飼い」と言っています。私たちは、主がどのようなお方か、告白する時に、ダビデのように「主は私の羊飼いです。」と絶えず告白する者となっていきましょう。

今日の箇所で、羊は牧者の声を聞き分けるとあります。本当だろうか、と思っていましたが、以前見た映像で、それが事実であることを知りました。それと同時に、自分は羊飼いの声を聞き分けているだろうか、そうではない声に反応したり、聞いてはいないだろうかと思わされました。

詩篇の有名な御言葉には、こうあります。

「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」(詩篇100:3)

私たちは主のものとされ、主の民とされ、その牧場の羊とされました。今日の箇所にも、牧者は自分の羊を「その名で呼んで連れ出す」とあります。「私たちが」ではなく、「主が」名を呼んでくださった、連れ出して下さったから、私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊とされました。

羊飼いの「飼う」という言葉には、「交わる、親しくする」という意味があります。すなわち、羊と羊飼いには、このような交わり、親密な関係があるということです。

「羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。」(ヨハネ10:4参照)

「またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」(ヨハネ10:27参照)

選びは一方的なものですが、関係はお互い、双方が必要です。時に、傷ついたり、痛みを通る時もあります。関係、親しい交わりというのは、一気に構築されるものではなく、時間をかけて徐々に築かれていくものです。ゆえに、羊と羊飼いの関係にある、私たちとイエス様の関係も同じです。交わり、親密さ、その時間が必要なのです。

私たちはイエス様との時間を持っているでしょうか。教会に行っていても、祈っていても、礼拝していても、主との愛の関係、交わりがそこになければ、何をしていたのか…となります。私の心はどこに向いているでしょう。私の耳はどこに向いているのでしょう。

日々の生活、忙しさ、様々なやるべきことがたくさんあるかもしれません。しかし、そのような時こそ、私たちは時間を聖別する必要があります。羊飼いなる主の御声に耳を傾けることが必要なのです。

私は、人の声に影響を受けやすい弱さがあります。訓練されてきましたが、今もその弱さを取り扱われています。なので、絶えず、この耳にイエス様の血潮を宣言して祈ります。今日も、この耳が主だけに開かれる耳、羊飼いなる主の声だけを聞く耳となりますように。

■A:考えてみよう
私は、羊飼いなる主の声を知っているだろうか。聞き分けることが出来ているだろうか。今、忙しさや様々な思いや言葉にとらわれていないだろうか。主との交わり、親密な時間をとることが出来ているだろうか。

「永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が、」(ヘブル13:20)

今日も、この瞬間も、日々、私たちの耳にイエス様の血潮を宣言して祈りましょう。そして、今日も御言葉を朗読する中にあって、この耳が絶えず、羊飼いなる主の声に、言葉に耳を傾けることが出来ますように。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ささまな 】

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