■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書8章31,32節

★そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」

43節

★あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。

■O:今日のコラム
会衆と弟子には大きな違いがあります。会衆は良い時には主のもとに集まりますが、試練や自分に都合が悪いことがあると主から去って行きます。しかし、弟子は順調な時だけでなく試練や嵐の時にも主について行く人々です。主は私たち一人一人を会衆ではなく弟子の道を行く者として招いて下さっています。

今日の箇所には「ほんとうの弟子」となる為の条件が書かれています。それは主イエスが語られた「ことばにとどまる」ことです。別訳ではここは「教えに従って生きる」と記されています。ことばにとどまるとは、ただ教えを聞くだけでなく、その通りに従って生きることを意味しているのです。

主のことばに従って生きた結果、私たちは「真理を知る」ようになります。この「知る」とはギリシャ語では「ギノスコ」という言葉が使われています。「ギノスコ」とはただ知識として知るだけではなく、それを実際のものとして体験することを意味しています。

そして、その真理は私たちに本当の自由を与えるものとなります。私たちの内にある「肉の人」は真理に従うことを嫌います。肉の思いから見るなら御言葉に従って生きることは、窮屈でつまらない生き方のように感じるでしょう。もちろん宗教的な動機や律法的な行いによって御言葉に従おうとする時、私たちの内から喜びは無くなります。

しかし、主はご自身の弟子となる者たちの内に御霊の恵みによって御言葉を愛し、御言葉に従う心を与えて下さるのです。私たちの内で「御霊に属する人」が大きくなって行く時、御言葉に従って生きることは大きな喜びとなり、まことの自由を経験する歩みとなるのです。

しかし、御言葉を読んでいても、主が言われるまことの自由を味わうことが出来ないのはなぜでしょう。それは「聞く耳」に問題があります。イエス様ご自身が同じ章の中でこのように言われています。

「あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。」(43節)

主のことばに耳を傾ける「聞く耳」が私たちの内に与えられるように祈りましょう。

これは別の言葉で言うなら「弟子の耳」、「割礼を受けた耳」、「しもべの耳」と聖書の中で表現されています。第一の戒めも「聞きなさい。イスラエル。」(申命記6章4節参照)と聞くことから始まります。また黙示録に記されている七つの教会においても、教会が勝利する為に主は「耳のある者(聞く耳)は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」(黙示録2章~3章参照)と言われていて、聞くことは非常に重要な霊的性質であることが分かります。

今日、主の御言葉と御声を聞く(聞き従う)耳が与えられる為に、私たちの耳に血潮を宣言して祈りましょう。

■A:考えてみよう
血潮の宣言のテキストを用いて、私たちの耳に対して具体的に主イエスの血潮を宣言して祈る時を持ちましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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