■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙 第二 6章14節(エゼキエル書40章)
★ 不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。
■O:今日のコラム
「くびき」という言葉を聞いて、思い出したのは、イエス様ご自身が言われた、次の言葉です。
「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイによる福音書11章29-30節)
神様は、かたや、イエス様を知らない人と「つり合わないくびき」を一緒につけてはいけないよ、と言われ、一方、イエス様とは、「(イエス様の)くびきを負いなさい」と言われています。
「くびき」とは、二頭一組の牛などの家畜の首にかける横木で、その二頭が一緒に畑を耕したりする時に使う農作業の道具だそうですが、この「くびき」につながれていると、当然二頭は、同じ方向に、同じ早さで進むことになります。
<くびき1>
イエス様を信じていない人は、いろんな心配や悩み、問題がある時に、お金や、薬、方法、インターネットの情報、人脈、など、人間の力に頼ってしまいがちです。(そういうものを使うのがいけない、という意味ではないですよ。)
「不信者と、つり合わぬくびきを一緒につけてはいけない」という言葉の一つの意味は、神様を知らない人のように、問題解決のために、あちこち走り回って答えを探しまわったり、人間の知恵に頼ったりしてはいけないよ。あなたは、他のものを偶像としないで、私に信頼しなさい、ということではないかと思いました。
イエス様と一緒のくびきをつけるというのは、困った時、迷った時も含めて、どんな時も、神様が、よい神様であり、何でもできる神様であり、求めるものに答えてくださる、と信頼すること。また、神様が答えて、なすべきことを教えて下さる時に、神様が最善のことを導いてくださると信じて、それにすぐ従ってついて行くことではないでしょうか。
神様にとって、大きすぎて、解決できない問題はなく、小さすぎて、大事じゃない問題はない、という言葉を聞いたことがありますが、大きな問題も、小さな問題も、主のもとに持って行き、主からなすべきことを聞き、それを実行して、主の解決、主の栄光を見て行きたいですね。
<くびき2>
「つり合わないくびき」の別の意味は、神様の愛を知らない人たちのように、まわりの人を、さばいたり、見下したり、批判したりしてはいけない、ということではないかと思いました。
普通の見方をするなら、取税人のザアカイは、自己中心で、空気が読めず、自分の利益ばかり求めて、他の人のことを考えない、不親切な人だったかもしれません。だから、嫌われていたのかもしれません。だから、もう一緒にやりたくない、だから、仲間にいれたくない、だから、親切にしたくない、と思われていたのかもしれません。
でも、イエス様のやり方は、違いました。イエス様は、天のお父さんに、聞いて、天のお父さんがザアカイにどうしたいかを聞いて、それに従うという方法をとりました。お父さんが、「あのいちじく桑の木に登ってるのは、ザアカイだ。今晩私はザアカイの家に泊まりたいんだよ。」と言われたので、イエス様はただ「了解!私がお父さんの代理としてザアカイの家に泊まります!」っと従われました。
その結果は?
ザアカイの心は神様の愛でいっぱいになり、どんなに指摘されても直すことのできなかった自己中心から解放されました!
■A:考えてみよう
問題や困ったことが起こったとき、私は、あれこれ解決を探しまわっているだろうか?
まず、祈ろう。神様が答えてくださることを信頼しよう。答えてくださったら、すぐに喜んで従おう。
また、いやな人、苦手な人がいる時、世間の人と同じように、その人の明らかな問題点を指摘したり、批判したり、見下したり、避けたりしていないだろうか? 天のお父さんが、何をしたいか、祈って聞いてみよう。
目が開かれて、お父さんのすることが見えるように、祈ろう。お父さんから教えてもらったら、それを実行しよう!
■P:祈り
世間のやり方、考え方に流されないで、いつも立ち止まって、イエス様を見ることができますように。
イエス様の行く方向に、一緒に進むことができますように。アーメン
【ともこ】
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今朝、イエスさまのご愛に、触れ
み言葉に、感謝しました。