■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書1章1節

★初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

■O:今日のコラム
この世のどんな商品でもその品物が出来る前にプランやコンセプトそして設計図が存在しています。たとえば、私たちが手にしているスマートフォンでも、機械を組み合わせていたら偶然に出来たわけではなく、機能やデザインが考案され、それが緻密に設計されて出来上がっています。

この世の物質はすべて、見えない神のことばから創造されました(ヘブル11章3節参照)。創造主なる天の父は、これら全てを無計画に、また行き当たりばったりで創造したわけではなく、天地万物が出来る前に既に神の偉大なプランが存在していました。

そのことが、ヨハネの福音書1章1節に記されています。ここには「初めに、ことばがあった。」と書かれていますが、この「ことば」はギリシャ語では「ロゴス」ということばが使われています。「ロゴス」は「ことば」という意味と共に「道、理想、計画、デザイン」というような意味もあります。

その「ことば」は「神とともにあった。」と記されており、別訳では「親密な交わりの中にあった。」という意味で書かれています。さらに「ことばは神であった。」とあり、ことばと神が同一の存在として記されています。

これはまさに「神の御言葉なるお方」イエス様ご自身のことを記した箇所です。神の御言葉なるイエス様、この知恵の源なるお方がどのように父なる神と共に万物を創造されたのか、そのことを知るためには箴言8章を朗読することをおすすめします。

全てを創造された主イエスは、私たちの内にも日々、御言葉を通して神の理想、神のデザイン、神の子としてのかたちを創造して下さいます。父なる神と御言葉なる主イエスが親密な交わりの中にあったように、私たちも御言葉を愛し、御言葉を求め、御言葉を朗読する時、御言葉なる主イエスとの親密な交わりの中に生きることが出来るのです。

御言葉の中心はイエス様ご自身です。御言葉を通して私たちは知恵を得、慰めと確信を受け、正しく生きる道を知ります。しかし、御言葉を求める一番の動機は私たちの向上ではなく、イエス様ご自身を求めることへと向けられる必要があります。

もし、私たちが自己の向上だけを追い求めるなら、聖書は世の自己啓発書とかわらなくなるでしょう。また一度読むともう理解した気持ちになって、飢え渇いて御言葉を求めなくなるかもしれません。しかし、御言葉は御霊によって記された啓示の書であり、何百、何千回読んだ箇所からも今日新しく主が語りかけて下さり、御言葉を通して主と出会うことが出来るのです。

バプテスマのヨハネは、

「あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。(ヨハネ1:26b)

と言っていますが、この知らないとは「親しく知らない」という意味があります。今日も聖書を開いて朗読する時、そこに私たちがまだ親しく知らないイエス様が立っておられ、イエス様と新たな出会いをすることが出来るのです。

神の御言葉なる主イエスを日々愛し、追い求めてまいりましょう。

■A:考えてみよう
今年中に最低でも1回は、創世記から黙示録までを朗読しましょう。御言葉を求めることはイエス様を求めることであり、御言葉を愛することはイエス様を愛することだからです。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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