■S:今日の聖書の言葉
士師記2章22~23節
★彼らの先祖たちが主の道を守って歩んだように、彼らもそれを守って歩むかどうか、これらの国民によってイスラエルを試みるためである。」こうして、主はこれらの国民をただちに追い出さないで、残しておき、ヨシュアの手に渡されなかったのである。
■O:今日のコラム
士師記はヨシュアが約束の地を勝ち取った後に、主の民がその地でどのように主の御声に聞き従い、約束の地を治めて行くのか。ということが問われている書簡です。
この書簡からは、主の民の信仰による勝利だけではなく、彼らの不忠実な歩みと失敗から多くの霊的な教訓を学ぶことが出来ます。士師記を通して「めいめいに自分勝手な生き方をする時の混乱した結果」を知るようになります。
最初のボタンを掛け違えると、後も全てがずれて行くように、士師記において主の民が、主の基準からずれて行く、その始まりは1章から起こります。
1章において注目すべき重要なポイント「追い払わなかった」という点です。この言葉が1章に合計8回記されています。イスラエルの民は約束の地を勝ち取る中で、戦いが落ち着き、自分たちの生活が安定した時、ある程度の段階で満足して敵を完全に追い払うことをしませんでした。
これが後にイスラエルの民を異教の神々への偶像礼拝へと導く大きな落とし穴となりました。またこの異邦の民が度々イスラエルを攻撃し、苦しめ、悩ませる問題の原因となったのです。
私たちの人生においても、内なる魂における様々な戦いを経験します。私たちの魂は、主がこの地上において住まわれる王座であり、神殿であり、都市ということが出来ます。すなわち、イスラエルの民が約束の地を相続し、治めて行く行程は、私たちが魂の都市を王なるキリストが治める場所として完全に勝ち取って行く為の行程と同じなのです。
私たちの内にも、罪や肉の性質、傷や歪んだ人格や否定的な考えに勝利し、神の平安が治めている領域もあれば、相変わらず罪と肉の性質が働き、否定的で暗い思いを持ち、怒り、苛立ち、汚れた考えを持つような、まだ勝利していない領域が存在しているものです。
時には「なぜ悔い改めても、悔い改めても自分は変わらないのか?」と失望することがあるかもしれません、
しかし、そのような勝ち取るべき領域が残されているのは、私たちが主により頼み、自我が砕かれ、自分の力ではなく、御霊の助けの中で勝利して行く為にあえて残された試練なのです。
約束の地を相続して行く行程は1日にしてはならず時間がかかる取り組みでした。同じ様に、私たちの内なる人がキリストの似姿として変えられて行くのは時間がかかります。しかし、時間はかかってもこのことに真実な心を持って取り組んで行くなら必ず勝利することが出来ます。
御霊の導きを日々求め、御言葉の剣を握り、人生かけてこの戦いを戦い抜いてまいりましょう。我らの王イエスにより必ずこの戦いに勝利します。
■A:考えてみよう
日ごとの悔い改め、御言葉の朗読、祈りを続けてまいりましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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