■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの手紙第一4章18節
★愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。
■O:今日のコラム
先日、基督教独立学園高校前校長の安積力也先生のという方のドキュメンタリーを拝見しましたが、とても胸を打たれるものがありました。最も印象に残ったことは、彼が生徒たちに「何をおそれているのか」ということを問うたときに、生徒たち一人ひとりが自分に向き合って出てきた答えは、様々だったようですが、多く共通していたのは、「人がこわい」「時代がこわい」というものでした。
自分の日々の生活を振り返ると、それは他人事ではなく、自分の中にもある感情で、おそれを持つときに、私たちは時に委縮したり、虚勢をはったり、何か自分ではない何かになろうとしてしまう傾向にあるように感じます。そして、心の奥底ではそのことに気づいていながら、向き合うことすら忘れてしまっているように感じました。しかし、安積先生の話で伺う生徒たちの姿は、若いながらもそれぞれ懸命におそれを感じている自分と向き合い、様々な関係性の中で本来の自分を見出していくもので、涙があふれました。
主は、私たち一人ひとりに命を与えられた以上、諦めることをせず、私たちが困難の中で真理を求めていくとき、そのときを今か今かと待ち望んでいたかのように手を広げて待っていてくださる方であるのだと感じます。
そして、主は私たちがおそれの中で進むことができる十分な愛を注ぎ、私たちを信じて待っていてくださることを感謝します。主がこれほどまでに愛し、信じていてくださっているのですから、その自分自身をそのままで信じ受け入れることができる一日でありますように。
■A:考えてみよう
聖書には、365回「恐れるな」という箇所があるということを聞きました。それぐらい、私たちにとって恐れは身近なものであることを主は知っておられるのではないでしょうか。
私は、以前「おそれ」は罪であり、不信仰の結果であり、恐れを感じるとき、御言葉をもって自分を鼓舞し、何度も言い聞かせ、すぐにでも這い上がるべきものだと思ってきましたが、最近は、自分が恐れを感じていることを認めるようになりました。しかし、落ちるべきところまで落ちたその場所に、不思議とどこかから「恐れなくても大丈夫、わたしがともにいる。」という優しい声が聞こえてくるように感じます。
今日も、それぞれがこの時代にこの場所で、自分しか出会うことができない主の愛を体験していきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 れな 】
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