■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの手紙第一2章6節
★神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。
■O:今日のコラム
ヨハネの手紙は、ヨハネがパトモス島の流刑から帰還した後に晩年になって書き記したものと言われています。
ヨハネの書簡には一つの同じテーマがあり、ヨハネの福音書、ヨハネの手紙、ヨハネの黙示録を通して私たちに「神の子」としての重要な啓示の光を与え、回復された神の子としてのかたちへと導き入れる目的がこの書簡にあります。
神の子とは一体どのような存在なのか。その姿が明確に現されているのはイエス様ご自身です。私たちは自分が思い描く神の子としての姿になるのではなく、イエス様と同じ姿へと変えられえていくことを目指して行くのです。しかし、私たちの人間的な努力や熱意だけによっては絶対に神の子の姿へと変えられることは出来ません。
イエス様はどこまでも聖く、真実で、忠実に父なる神の心を成し遂げた、御子なるお方です。しかし、私たち自身は、どこまでも自己中心で、罪の性質を持ち、肉の汚れを抱えた存在です。この肉なるものが、いと高き神の御子と同じ性質を持って生きるのは絶対に不可能な課題のように感じるものです。
しかし、このことに対する明確な答えが記されているのがヨハネの手紙です。ヨハネの手紙を続けて朗読し、知恵と啓示の御霊なる主に御言葉を教えていただく時、神の御子として生きる道がこの書簡から見えて来るようになるのです。
上記の御言葉には「神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。」とあります。キリストが歩まれたように歩むとは、2章全体を読むと「御言葉を守る」ことであることがわかります。
ヨハネの手紙を最後まで読み進めて行くと、最終的に私たちが「御子と同じかたち」を持って歩む為には、「御霊、水、血(十字架)」が必要であることがわかります。
どの道においても、その道を極めた人々は非常にシンプルになって行きます。ヨハネも若い時からの主イエスの弟子としての歩み、十字架と復活の経験、聖霊が注がれ使徒となって働く初代教会の歩み、迫害が起こりパトモスに流される経験、またパトモスで見た驚くべき天と終わりの時代の啓示(黙示録)、またエペソに戻って過ごしたと言われる晩年、全ての信仰の歩みを経て彼が行き着いた答えが「御霊、水、血」という結論だったのです。
このヨハネの手紙には私たちがキリストの似姿へと変えられ、神の子のかたちを持ち、キリストと同じ歩みをするための啓示が記されていますので、共にこの書簡を続けて朗読し、この御言葉を悟ることが出来るように祈り求めましょう。
■A:考えてみよう
第一ヨハネの手紙全体を朗読し、祈りましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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