■S:今日の聖書の言葉
テトスへの手紙2章14節
★キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。
■O:今日のコラム
私たちは、きよめられ続け、傷やしみやそのようなものの何一つないきよい花嫁として主の御前に立つように召されています。しかし、きよめは全自動では無いことが、この御言葉からも明らかです。黙示録では「子羊の血で洗って衣をきよくした」と私たちがきよさにあずかるために、自分で洗う必要があると言っています。
私たちは「イエス様を受け入れたら天国行き、後は何をするかは報いに一切関係ない」という間違った福音を信じてはなりません。主は、一杯の水を施すことにさえ報いを忘れない方であり、私たちの全ての仕業に報いられる方です。
私たちは、恵みによって受け入れられましたが、この恵みを本当に受け取るなら聞き従う者となり、救いを保ち、救いを達成する者となっていくのです。聖書は信じる者として本当に恵みを受け続けるなら、従う者となると教えています。だから次の聖句は、信じる者とは、聞き従う者であると見ることができます。
「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ3:36)
悪いわざに悪い報いがあるのなら、良いわざには良い報いがあります。それは今日の聖句を見ると、きよさにあずかることです。良いわざとは、神に聞き従うわざということができます。御言葉の水の洗いとはただ御言葉を聞くだけで十分ではありません。それを熱心に行うことによって全うされるのです。
「キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」(エペソ5:26~27)
この御言葉を読んだ後に、今日の御言葉(テトス2:14)を読んでみてください。はっきり分かるのではないでしょうか?
そしてイエス様の十字架の尊い犠牲の目的が、今日の聖句に書かれています。それはただ赦すためだけでは無いのです。それでは半分です。私たちが良いわざに熱心になり、きよめにあずかることであると言っています。
良いわざに熱心になると「肉の力だ」と言われることもあるかもしれません。しかし、主が言い送ったことに聞き従うことは、神を愛するということなのです。そして神が言い送ったことは必ず成就するのです。これは、私たちの努力も重要ですが、決定的な要素は御霊の力なのです。
■A:考えてみよう
熱心に聞き従うことには、大いなる報いがあることを信じ、熱心にそれを行う者となる。
■P:祈り
あなたが十字架によって与えたい全てのものを受け取ります。赦しだけでなく、あなたのきよさにあずかるものとなることも受け取ります。それを行うことに対する熱心さ、義に対する飢え渇きをお与えください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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