■S:今日の聖書の言葉
テモテへの手紙第二4章2節
★みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
■O:今日のコラム
シャバットシャローム。主の安息を感謝します。
この箇所は伝道する動機としてよく使われると思います。
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」
でも次のみことばはあまり重要視していません。
「寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」
みことばはどれかを重視して行うのではなく、御言葉が御言葉なので行うのではないでしょうか?とするならばこの箇所は未信者にみことばを伝えることを重視しているのではないと言えます。
寛容を尽くして、絶えず教える、とは主のみことばに従いたいという者にです。責め、戒めとは主のみことばの基準を知っている者でなければなりません。勧めるとは、主のみことばに従ってる者にするものです。
箴言3章12節には「父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。 」とありますが、懲らしめを受ける者は、誰でもというわけではなく「主が愛される者、子どもである者」と言っています。
「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。」(黙示録3章19節)
責め、戒められる者は、父に愛される者であり、また父の教えを知ってる者でなければなりません。
この手紙はパウロが愛弟子テモテに書いたものです。テモテは主に仕え、主の御言葉への従順を見ることができます。またパウロもテモテになぜ手紙を書いているのか。テモテが主のために成長できる可能性を見たからではないでしょうか。期待していたからです。
そうするならば、このみことばはまず、私たち自身に伝えなければならないものであり、最高の教師であられる聖霊様によって責められ、戒められる必要があります。
勧められるとは、みことばを知り、それを行うことができるように励まされることです。ただ単に、「これいいから行なってみたら?」というような軽いものではなく、「是非行なってみなさい!」というのが勧めです。
ユダヤ人は、トーラーを読むことが行っているということにはつながらず、トーラーを実行していて初めてトーラーを知っているという考えがあります。行ない続ける。追い求め続ける。素晴らしいですね!!
新しい人にみことばを伝えて救われることはとても大事なことです。しかし、私たち自身の内に御言葉が実行される時に、人々はその人の姿を通して、神の姿を見ることができるとも言えます。ある意味人々が救われないのは、私たちが真理のみことばに生きていないが故に、神の子の姿を見ることができていないからなのではないでしょうか??
時が良くても悪くても、人々にみことばを伝えると同時に、私たちのうちに、また、主を信じている者たちのうちにみことばが伝えられていきますように。
■A:考えてみよう
聖霊様によって責められ、戒められ、勧められましょう。時が良くても悪くても、みことばがまず私たちのうちに蒔かれていきますように。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あはごん 】
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