■S:今日の聖書の言葉
テモテへの手紙第二1章9a節
★神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。
12節
★そのために、私はこのような苦しみにも会っています。しかし、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。
■O:今日のコラム
おはようございます!昨日よりも今日、主をもっと知り、召しに歩んでいきましょう。
私たちが救われ、主の民として召されているのは、私たちの能力でもなく、生まれ育ちでもなく、私たちが良いことをしたからでもなく、ただ、主のご計画と恵みによるものです。そして、そのご計画の中に召されているものとして、私たちは歩んでいくべきです。
パウロは、ダマスコに行く途中、イエス様に出会い、ダマスコでイエス様の弟子であったアナニヤに祈ってもらい、彼はイエス様を信じる者となり、真の救いへと入れられました。パウロは、「イエス様を信じて救われた!天国に行ける!ハレルヤ!」と言って、自分が救われたことを皆に証ししたのでしょうか?
彼は自分の救いの証しをしたのではなく、「イエスは神の子である」ことを大胆に証ししました。そして、彼の生涯は、主を証しし、主のみことばを教える者として歩みました。神様が彼を救いに入れたのには、彼がただ単に天国に行けるためではなく、この地上での目的がありました。それは、使徒の働き9章15~16節に書かれています。
「…わたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」
パウロは、このことをよく知っていました。だから彼の多くの手紙には、自分は異邦人に遣わされた使徒であり、主のしもべだと言っています。また、今日の箇所でも彼は福音のために苦しみに会っているが、それを恥だと思わないと。
パウロが苦しみの中でも、主に対しての信仰を持ち続け、自分の召しを全うしたのは、彼が自分の信じて来た方をよく知っていたからです。それが、彼が走る原動力となっていました。彼と主との関係は、救われたその日で達成したものではありません。苦しみをたくさん通りながら、そこで、主との関係は深まっていきました。その主に信頼して彼は自分の召された道を最後まで歩みました。
■A:考えてみよう
私たちもパウロと同じく、主に召し出されたものです。救われた!ハレルヤ!そして、自分の救いの証しを皆に語るだけの人生ではありません。私たちは主を証しする者、主のご計画の中を歩む者として召し出されました。
その召しを全うするためには、日々、主との関係を深めていく必要があります。その歩みは、時には平坦、時には喜び、時には苦しみでしょう。しかし、そのすべての中でますます私たちは主を知り、主に信頼し、主によって与えられた召しを全うしていけます。
主にあって、今日も与えられた召しを果たしていこうではありませんか。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 かよ 】
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