■S:今日の聖書の言葉
テモテへの手紙第一6章15~16節

★神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。

■O:今日のコラム
イエス様の十字架を通して父なる神様と私たちとの間にあった仕切りの幕、隔ての壁は取り除かれました。皆さんもご存知の通り数多くのみことばを根拠として、私たちは神様との親密さへ導れ、大胆にみ前に近づき祈りを捧げることができます。

しかし、今日の箇所では、私たちは神に「近づくこともできない」とあります。

両者の一見相反する聖書のみことばは一方が真理で、もう一方は旧約の限定的な時期における神の御性質だったのだと片付けることができるでしょうか。聖書は永遠の神のことばであるゆえに、答えは両者が真理です。

神様が究極に遠く、高く、近づきがたい存在であることは今も変わりません。にもかかわらず心には神に近づきたいという願い・情熱が与えられていて、私はこの葛藤・矛盾の中に置かれることを経験します。

神の御前に行くということを決心するとき、私たちに求められることは何でしょうか。それは「死」を覚悟するという姿勢と、「あかし」を携えていくことです。

創世記38章、ユダは嫁タマルの計略によって関係を持ちます。後に送る報酬の担保として印形・ひも・杖をユダはタマルに与えました。タマルは身ごもりました。宿った命がユダとの間にできた命であることを証明するものは3つの品だけです。タマルは自分自身の死を覚悟しつつ、けれども胎内の子は必ず助かりユダ族の血を継いでいくことを信じて、ユダの前に出てきます。

タマルが妊娠したことをユダが知ると、未亡人でありながら誰の子ともわからない子を宿したタマルを「焼き殺せ」と心無いことばを言い放ちます。しかしタマルが胎内の子は印形・ひも・杖これら3つの品の持ち主によって身ごもったことを示すと、ユダは認めざるをえませんでした。

「あかしするものが三つあります。 御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。・・・そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。 」(第1ヨハネ5:7~8、11)

ユダは自身の罪と放縦によって軽率にタマルと関係を持ちましたが、神様は私たちと交わりを持つためにご自身の命に等しい御霊・水・血をあかしとして持たせてくださいました。

目には見えない永遠のいのちなるものを証明することができるのは、それを与えた神ご自身しかありえません。だからこそ、私たちの知恵や熱心だけによるあかしでなく、神様のあかしが必要なのです。

あまりにも遠い、神という存在。御霊・水・血。神様が命を注いで私たちに与えてくださったあかしを、今日も深い感謝と敬拝をもって受け取り、大胆に御前に進み行きましょう

■A:考えてみよう
何をもって神様に近づくことができるだろうか。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ぺい 】

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