■S:今日の聖書の言葉
テモテへの手紙第一5章20節
★罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。ほかの人をも恐れさせるためです。
■O:今日のコラム
この一節だけを抜き出して、実行すると大変なことが起きます。人々の心を破壊し、わめき散らす、気の狂った人と思われてしまうかもしれません。この御言葉は、若い牧会者テモテに向けての晩年のパウロからのアドバイスです。パウロはテモテに対して、長老たちにはこう対応しなさい、と教えているのです。20節の前の部分はこうなっています。
「よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。聖書に『穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない』、また『働き手が報酬を受けることは当然である』と言われているからです。長老に対する訴えは、ふたりか三人の証人がなければ、受理してはいけません。罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。ほかの人をも恐れさせるためです。」(第1テモテ5:17~20)
長老とは、教会のリーダーと言えると思います。リーダーは権威を持っていますが同時に責任も持っています。リーダーに対する叱り方は、みんなの前で晒し者にされるような厳しいものです(私はまだ無いかも)。なぜ皆の前で叱るのか?というとそうすることで権威に服することの大切さを教えるためだと言っています。
福音書の中で、使徒たちのリーダーであるペテロも他の弟子たちの前で「下がれ、サタン!」と叱られましたが、その時のイエス様の意識は、ペテロ以上に他の弟子たちに向けられていました。それは権威に従うことの重要性を教えるためだったのです。この時のイエス様の目線に注目してください。
「しかし、イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた。『下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。』」(マルコ8:33)
これは、主が私たちにどれほど権威に服することを願っているのかが分かる一つのエピソードであると思います。
私は牧師ではありますが、私の上に立つ権威者として主任牧師である稲福先生、先輩牧師である慎悟先生がおられます。この権威者を心から尊び、従うことは神の願いなのです。神の祝福は権威に従う中にあります。だから神を愛し、従うことは第一の戒めであり、対人関係においても父母を敬い、従うことは第一の戒めなのです。
■A:考えてみよう
自分の上に立てられた権威者を尊び、従う(ただし罪であるなら従ってはなりません)。
今日、最初に出会う自分に対する権威者に意識的に敬意を払う。今日、最初に権威者から命じられることに意識的に喜んですぐに従う。
■P:祈り
主よ。祝福に満ちた唯一の主権者なる方。あなたを尊び、愛し、従います。またあなたが私の上にお立てになられた権威者たちを尊び、愛し、従います。喜んで仕える霊が私を支えますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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