■S:今日の聖書の言葉
イザヤ書59章1~2節

★見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。

■O:今日のコラム
主は、全能の神様です。アルファであり、オメガであり、この世界を創造し、支えておられる方です。

ヨブ記を読むと、自分の正しさを訴えていたヨブに主が現れて下さり、ご自身がどのような方であるかを語ります。それを聞いたヨブの答えは、

「あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。
知識もなくて、摂理をおおい隠す者は、だれか。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。さあ聞け。わたしが語る。わたしがあなたに尋ねる。わたしに示せ。
私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています。」(ヨブ42:2~6)

散々自分の正しさを訴えてきたヨブですが、神様の前には黙るしかなく、ちりの中で悔い改めるしかなかったのです。

神様には全てが可能です。死を打ち破ることができる方です。救いも簡単なことでしょう。だから、今日の聖書箇所にも、主の御手が短くて救えない、耳が遠いから聞こえないのではないと書かれています。私たちの咎が罪が仕切りとなり、御顔を隠させているのだと言っています。

この御言葉を読む度に、主と顔と顔を合わせて祈る、そのような親密さに入っていくために、熱心に悔い改めるべきだと思わされます。自分の正しさは、神様の前では、不潔な着物のようだからです(イザヤ64:6)。

「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。」(黙示録3:19)

続く節を読むと、勝利を得る者には、わたしとともにわたしの座につかせようと書かれています。この世のものは、過ぎ去っていきます。この世の報いではなく、みことばに書かれている約束に目を留め、日々の生活の中で熱心にみことばに立ち返り、悔い改め、みことばに従うことを求めていきましょう。

■A:考えてみよう
熱心に悔い改め、みことばに従うことを求めていこう!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あいこ 】

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