■S:今日の聖書の言葉
イザヤ書50章8節

★私を義とする方が近くにおられる。だれが私と争うのか。さあ、さばきの座に共に立とう。どんな者が、私を訴えるのか。私のところに出て来い。

■O:今日のコラム
今日の御言葉にもある通り、私を義としてくださるお方が近くにおられ、今まで一度も罪を犯さなかったかのように私を義と認めてくださる、イエス様の十字架の血潮が与えられていることを感謝します。

この御言葉を書いた著者は、この章で痛み苦しみ、恥が自分を襲う時に、ある2つの告白をしました。

「神である主は私を助ける」(50章7,9節)という告白、そして今日の御言葉「さあ、さばきの座に共に立とう」という告白でした。

この著者は「神様」と「天」に目を向けています。痛みや苦しみ、恥や問題、状況ではなく、また自分自身にさえも目を向けませんでした。私を助け、救われるお方、主ご自身のおられる御座、恵みと裁きの座に目を向けました。

詩篇119篇において、神の裁きに感謝し、神の裁きを待ち望み、神の裁きを慕い求め、自ら砕かれているダビデの姿を見ることができます。

自分の罪や弱さが明らかにされ、神様に裁かれることは私たちにとっての恐れでしょうか。確かに、義の審判者なるお方の裁きを、ダビデは恐れていました(詩篇119:120)。

しかし、神様に立ち返らず、悔い改めず、罪の中に留まり続け「神様から引き離されること」の方がもっと恐ろしく、悲しいことであるとダビデは知っていたからこそ、この告白が出てきたのではないでしょうか。

「私のたましいは、いつもあなたのさばきを慕い、砕かれています。」(詩篇119:20)

このイザヤ書50章6節以降の御言葉を見る時に、イエス様の姿が思い起こされます。

私が裁きの座に立つ前に、何一つ罪を犯していないイエス様が、私の罪を背負い、裁きの座に立ち、天のお父様の裁きを受けられました。イエス様は十字架で砕かれ、天の父の裁きを受け、まさに私が歩むべき道の模範となってくださいました。

イエス様が十字架にかかり、血潮を流され、罪の贖いを完了してくださったことにより、神の愛から私を引き離すものは決してありません(ローマ8:38,39)。

この完全な神様の愛を土台として、私たちは今日、ダビデのように自ら、神様の愛の裁きを求めたいと願います。

■A:考えてみよう
天のお父さんは、私を子として扱ってくださっているので、懲らしめを与えられます(ヘブル12:5~)。

父の懲らしめ、さばきは天のお父さんの愛です。なぜなら、この地上でさばきを受けなければ、私は永遠に天のお父さんから引き離されてしまうということを、天のお父さんは知っているのです。

「愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。」(箴言22:15)

今日、私たちはイエス様にならって、さばきの座に進み行きましょう。そして、自分の魂に言いましょう。

「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか」
「罪に定めようとするのはだれですか」
「私をキリストの愛から引き離すのはだれですか」

ローマ8章33~39節を、完全な神様の十字架の愛を自分の魂に宣言し、愛ゆえの訓戒を、父の懲らしめと裁きを受け、今日も悔い改めへと、血潮の恵みの中へと、天のお父さんの心の中へと導かれていきましょう。

「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。…私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8:33~39)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あい 】

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