■S:今日の聖書の言葉
ピリピ人への手紙2章21節
★だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。
■O:今日のコラム
この求めるという語は、探し求める、願うという意味の語です。「自分探し」などという言葉がありますが、自分探しをして何か良いものが得られるでしょうか?自分の中を徹底的に探求するなら絶望しか見いだすことはできません。しかし、主を求めることには希望が満ちているのです。
しかし、それが分かっているのに私たちは、自分自信のために生きて自分の益ばかり求めてしまう性質があります。たしかにイエス様を愛している部分を持っていますが、同時にイエス様を愛せない部分、イエス様のために生きられない部分を抱えているのです。
自分をどれだけ戒めても、徒労に終わるでしょう。私たちの信仰は、人の知恵に支えられず、神の力に支えられる必要があるのです。大切なのは、全能の神の力、よみがえりの力による新しい創造なのです(ガラテヤ6:15)。
人は新しく生まれなければ神の国を見ることができないのです。しかし新しく生まれる者は神の国を見るのです。新しく生まれたたましいの領域は、イエス様を愛するのです。
「イエスは言われた。『神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。』」(ヨハネ8:42a)
何に死に、葬られ、栄光によみがえるのか?が重要です。「文字は殺し」なのです。御言葉によって自分の古い人に死ななければなりません。そして、そのことに従うがゆえの実際的な試練に耐えて葬られるなら、栄光によみがえるのです。イエス様が父の言葉に従い、その辱めに黙って耐えられ、十字架を全うされ、栄光によみがえられたようにです。
私たちがイエス様と一つになる道は、十字架の道の他に用意されていません。死と葬りと復活は、パウロが最も大切なこととして語っていることです。
■A:考えてみよう
今日、あなたが従うように命じられた御言葉は何でしょうか?
それに反した行動を今までしてきたならそのことを悔い改めましょう。その時に主は、御言葉を土台にした、揺るがない心を新しくされることを信じます(詩篇51)。
そして小さくてもその御言葉を実行する機会を求めるのです。御言葉が自分の生活の一部となること、御言葉なるイエス様と一つにされることを祝福します。
■P:祈り
主よ。自分を求める者ではなく、あなたを求める者とますますなりたいです。御言葉なるイエス様ともっと一つになるために、お語りください、その御言葉を心に刻んでください。そして御言葉と私が一つになりますように。御言葉の通りのこの身となりますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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