■S:今日の聖書の言葉
エペソ人への手紙5章26~27節

★キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。

■O:今日のコラム
エペソ書5章には聖書の中で一度だけ登場する偉大な啓示が記されています。それが「栄光の教会」です。これは教会の目指すべきゴールであり、全ての教会に与えられている重要な召しです。

この地においては、教会の規模、建物、人数、ミニストリー、知名度や影響力などによって教会が評価されることがありますが、主は人が見るようには教会を見ておられません。たとえ何百人、何千、何万人と集まる教会であっても、二人三人で礼拝を捧げる家庭の教会であっても、主が見ておられるのは、その教会が栄光の教会であるかどうか、ということです。

成功し、大きな教会を建てれば栄光の教会となるのではありません。私は世界の様々な教会のリーダーと関わる機会が与えられていますが、繁栄した巨大な教会が幾つも存在するある国は、現在非常に深刻な霊的危機にあることを報告で聞いています。

教会が栄光の教会となるためにはいかに優れたシステムやプログラムがあるかではなく、その教会が「みことばにより、水の洗いをもって、きよめられる」必要があるのです。

私たちの教会の24時間の祈りの家には「水の時間」というものが存在しています。その時間は皆が御言葉を口に出して朗読し、御言葉を宣言して祈ります。そうすることでまず私たち自身が、御言葉によってきよめられた主の教会となり、また教会も御言葉が住まう主の家となるのです。

純粋な御言葉の水で洗われる時、教会から「しみ」(主の基準から外れた罪の生き方)と「しわ」(主の基準から外れた人間的な神学)が取り除かれ、キリストの心と一致した栄光の教会が建て上げられて行くのです。

主は、そのような教会をご自分の前に立たせたいと願っておられます。すなわち、栄光の教会とは、きよめられた聖なる花嫁として教会なのです。

■A:考えてみよう
今日の御言葉を黙想し、それぞれの所属する教会が栄光の教会として主の御前に立つことが出来るように、とりなし祈りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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