■S:今日の聖書の言葉
ガラテヤ人への手紙 6章9〜10節(イザヤ書 43章)

★善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。

■O:今日のコラム
蒔いたものを刈り取るというのは、自然界だけでなく、霊的な面、信仰の歩みにおいても同じです。そして、それらの多くは私たちの口によってもたらされます。

「人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、そのくちびるによる収穫に満たされる。」(箴言18:20)

私たちは、この口で不平や不満、つぶやきではなく、御言葉という種を蒔かなければなりません。私自身もいつも気をつけなければならないと思います。

「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。『人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。』とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。」(第1ペテロ1:23~25)

御言葉は、決して朽ちることがなく、変わることのない真理であり、私たちに救いを得させ、御国を受け継がせるものです。私たちが信仰を持って、御言葉の種を蒔くなら、それは実となって永遠に残ります。

どこに蒔くのでしょうか。まず、自分自身にです。このことは、教会のメッセージでも日々語られています。自分の心を耕し、御言葉を蒔き、見張るというこことは、とても重要です。

今日、特に心に留めたいのは、今日の御言葉の箇所にあるように「信仰の家族の人たちに善を行う」ということです。
教会の外、世の中において、慈善事業をはじめ、善を行なっている人たちはたくさんいます。しかし、聖書が言う善とは、人の目、人間的な基準による善し悪しの善ではなく、神様の目、神様の基準によるものです。信仰の家族の人たちの間に、教会の中に必要なのは、この世の善、人間的な善ではなく、神様の善であることを覚えます。すなわち、神様の目によしとされること、神様の心を満足させることです。

神様の心を満足させるためには、神様の心を知らなければなりません。神様の心はどこにあるのでしょうか、それは御言葉にあります。そして、イエス様ご自身が、御言葉なるお方が、今も私たちに語っておられます。

「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」(マタイ7:12)

「愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。」(ローマ13:10)

イエス様は、律法と預言者を成就するために来られました。十字架により、律法と預言者を全うされました。御言葉を信じ、神様の御心に従う私たちの内には、この朽ちない種、生ける神の御言葉であられるイエス様ご自身が生き、十字架の愛が全うされるのです。私は、そのような歩みへと、日々変えられ続けたいと願います。

今日も日本のすべての教会の上に、捧げられる礼拝、神の家族の交わりの中に、主の愛と恵みが豊かにありますように!

■A:考えてみよう
・今一度、私たちの口が何を蒔いているか、点検してみましょう。自分自身に御言葉の種を蒔き、また信仰の家族と御言葉を分かち合うことを通して、お互いに実を結ぶ歩みが出来るように祈りましょう。

・私たちは、自分の目で、自分の基準で、人や物事をはかりやすいものです。しかし、神様の目にはどうだろうか。御言葉が基準となっているだろうか。神様の心を満足させているだろうか。絶えず、御霊により探って頂きましょう。

・今日も御言葉が語っておられることに従っていくことが出来るように祈りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ささまな 】

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