■S:今日の聖書の言葉
イザヤ書 40章26節(ガラテヤ人への手紙3章)
「目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。」
■O:今日のコラム
私たちは何故、内に疑いや恐れが起こるのでしょうか。
それは主が全能なる方、死から命へと移すことの出来るほどの力を持つお方であることを、私たちが忘れてしまうからです。
目に見えているものによってのみ判断するなら、また地上の事柄を見つめているなら、私たちの考え方はまるで神がおられないかのような考え方、世の中の考え方で満ちていきます。
神の偉大さが見えなくなります。
私たちは自分の力でなんとか物事を治めようとすることをやめ、立ち止まって創造主を見上げ、その偉大さと主の主権を思い起こす必要があります。
また、時に、私たちの内に喜びや感謝が湧かない時があります。感謝の代わりに不満や怒り、疑問や批判が湧いてきます。
何故、満たされない思いや不満が湧いてくるのでしょうか。
今日のイザヤ40章の御言葉を読み返してみましょう。
「あなたがたは知らないのか。聞かないのか。初めから、告げられなかったのか。地の基がどうして置かれたかを悟らなかったのか。
主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。地の住民はいなごのようだ。主は天を薄絹のように延べ、これを天幕のように広げて住まわれる。
君主たちを無に帰し、地のさばきつかさをむなしいものにされる。
彼らが、やっと植えられ、やっと蒔かれ、やっと地に根を張ろうとするとき、主はそれに風を吹きつけ、彼らは枯れる。暴風がそれを、わらのように散らす。
『それなのに、わたしを、だれになぞらえ、だれと比べようとするのか。』と聖なる方は仰せられる。」(イザヤ40:21〜25)
神が神であるゆえに、その主権のゆえに、「やっと植えられ、やっと蒔かれ、やっと地に根を張ろうとする」ものでさえ、主は風をもって一瞬に枯らすことも出来るのです。
今、置かれている環境、手にしている全てのものは私たちが勝ち得てきたものではなく、ただただ恵みによって主から賜ったものであることを思い起こさなければなりません。
私たちは人間が天地創造の最後に造られたので、この世界は人間のために造られたと勘違いしてしまいます。
そうではありません。全ては天地のすべては主のために造られました。
主の主権のもとにへりくだりましょう。
与えられていることの、すべてが神の憐れみと恵みによるものであることを思い起こしましょう。
主を恐れ、その下にへりくだるなら、主ご自身がその力強い御手を持って私たちの人生を最後まで守り導いてくださいます。
私たちは身の回りの何者をも恐れません、いかなることにも恐れを抱きません。
今日、人を生かすことも殺すことも出来る主だけを恐れましょう!
「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28)
もう一度、今日の御言葉を告白し、たましいに聞かせましょう。
「目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。」(イザヤ40:26)
■A:考えてみよう
今日、自分は何を(誰を)恐れているだろうか?
自分の思いと口の告白は何に満ちているだろうか?不満や批判、嘆きだろうか?それとも感謝と喜びの告白だろうか?
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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