■S:今日の聖書の言葉

コリント人への手紙 第二 7章9~11節(イザヤ書31章)

★今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです。
神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。ご覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう。また、弁明、憤り、恐れ、慕う心、熱意を起こさせ、処罰を断行させたことでしょう。あの問題について、あなたがたは、自分たちがすべての点で潔白であることを証明したのです。

■O:今日のコラム
甘いものが好きで始終甘いものを食べて虫歯のできやすい子がいるとします。虫歯を治すために、虫歯の予防について話しをします。時間を決めて食べることや甘いものや特に歯にくっつくような物を食べることを控えること、歯みがきの習慣などについて話しをします。しかし、いくら子どもが虫歯の予防についての話を聞いて理解しても、その聞いた内容が実際に食べる時間や内容、習慣の変更と結びつかなければ、いつまでたっても虫歯のできやすさは変わらないわけです。

悔い改めることについても同じようなことが言えるのではないでしょうか。例えばある罪についてその罪が悪いと分かっていても、実際にその罪をやめることがなければ、その罪が結ぶ実を刈り取りをすることには変わりないのです。罪に対して悲しむ事はあっても、依然として種を蒔き続けているのでその結果をみるようになるのです。罪の報酬は死です。その原則は、変わりません。

しかし、神のみこころに沿って悲しみ、悔い改めるならば、それは世の悲しみとは違い、もう神様を悲しませたくないと思い、だからこれ以上、罪を犯したくないという処罰の断行を起こさせるでしょう。別のことばでいうならば、罪に対して死と葬りが起こるのだと思います。Ⅱコリント7章11節に書かれているようなプロセスが一気に起こる場合もあるでしょうが、薄皮を剥ぐように徐々にプロセスが進行する場合もあると思います。しかし、いづれにせよ、みこころに添って悲しむことは、救いに至る悔い改めを生じさせることが分かります。結局のところ、このプロセスを通り、処罰の断行に至ることが大切であることが分かります。
神のみこころに添って悔い改めるとはどういうことなのでしょうか?神のみこころとは、御言葉であると思います。いつでも御言葉の基準に返っていくことが大切だと思いました。御言葉が真理であり、真理に逆らっては私たちは何をすることもできないし、真理が私たちを自由にするからです。

いつでも御言葉の基準に返り、みことば自分の内に形づくられることを祈り求めて行こう。

■A:考えてみよう
神のみこころ、みことばに従って悔い改め続けよう。己の内に、みことばが形づくられることを求めて行こう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あいこ 】

カテゴリー: マナメール

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