■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第二3章16節

★しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。

■O:今日のコラム
先日、主の御顔を慕い求める祈り会がシャローム教会で行われました。祈り会の始め、なかなか祈りが前進していかないように感じ、聖霊様がどこに導かれるのかを求め続けました。その中で御霊なる主は、主ご自身へと立ち返ることへと導いて下さり、会場に集った皆が主に立ち返り、悔い改めて祈り始めた時、火のように燃える祈りの霊が注がれ、それから2時間近く、誰も祈りを止めることが出来ず、そこを分岐点として祈り会全体の流れが変わっていきました。

主に立ち返る時、霊的な覆いが取り除かれます。今日の箇所には「人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。」と記されています。別訳では「悔い改めるなら」という意味があり、悔い改めと聖霊の働きには密接な繋がりがあることが分かります。箴言にはこの様にも記されています。

「わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ、あなたがたにわたしのことばを知らせよう。」(箴言1:23)

この御言葉も主に立ち返る時に、主の霊が注がれることを意味しています。私たち(私自身)は自分でも知らぬ間に、主の道から逸れてしまう性質があります。自分では正しい真っ直ぐな道を歩んでいるように思っても、気がつけば主の道ではなく、自分の道を歩んでいる場合があります。なので、信仰生活の中で何度でも主に立ち返る必要があります。

あのモーセでさえも、かつてあった主との親密な関係ゆえにもたらされた顔の光が消えた後も覆いをかけて隠したように、時には私たちは自分の働きや、忙しさ、様々な宗教的な熱心さによって、まるで主との親密さを持っているかのように装ってしまうことがあります。それはアダムが作ったいちじくの葉の腰おおいと同じ性質を持っています。

その覆いを取り除く為には、悔い改め、主に立ち返ることが必要であり、正直に認めて告白することが鍵となります。「主よ。私は飢え渇いています。働きにおいても、成功においても、自分を満たすことはできません。私が心から求めているのは、主よ。あなたご自身です。私と主との関係から壁を取り除いて下さい。」と心を開いて祈る時、必ず主は私たちとの関係の中に親密さを回復して下さいます。

そして、御霊なる主は私たちに自由を与え、栄光から栄光へと主の似姿へと私たちを変え続けて下さるのです。今日、主の元に立ち返りましょう。

■A:考えてみよう
主に立ち返り、悔い改めの祈りをし、以下の約束を朗読して心に刻みましょう。

「主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(第2コリント3:17~18)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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