■S:今日の聖書の言葉
イザヤ書39章2節
★ヒゼキヤはそれらを喜び、宝庫、銀、金、香料、高価な油、いっさいの武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった。
■O:今日のコラム
おはようございます!今日も1日、自分を高めるのではなく、主を証しする人として歩めますように。
昨日のイザヤ書38章では、ヒゼキヤ王が病気にかかって死ぬという宣告を受け、ヒゼキヤ王は主に祈ります。生かしてくださいと。主は、その祈りを聞き入れ、奇跡的に彼を癒します。
そして、今日の箇所は、そのニュースを聞いたバビロンの王が手紙と贈り物をヒゼキヤ王に送ってきた時のお話です。
ヒゼキヤ王は大喜びでそれを受け取ります。そして、バビロンの王から遣わされた使者たちに、自分の宝物倉の中をすべて見せ、自分の家、この国の栄誉を見せました。
一見、このことは、特に悪いことではないように見えます。お見舞いに来た方々を大いにふるまって歓迎するため、自分の家を見せることは、別に悪ではないですよね。しかし、この後、主は、ヒゼキヤ王に、こう仰せられます。
「見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、たくわえてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されまい。」6節
ヒゼキヤ王が自分の家や宝物倉をバビロンの使者に見せることは、主の御心を損なっていました。なぜですか。ヒゼキヤ王の心に傲慢さがあったからです。彼は、自分の家、宝庫、すべては、あたかも自分の物であるかのように見せびらかせますが、これらすべてを与えてくださった主を彼はないがしろにしていました。
彼は、バビロンから遣わされてきた使者たちに主を証しすることができたはずです。重い病気にかかっていたにも関わらず、主が哀れんでくださり、今、見るように元気になったこと。そして、この主がこの国を祝福してくださったこと。これら、すべては主の御手によってであることを誇れたと思います。しかし、彼はそれをせず、すべて、自分が成し遂げたかのように振舞いました。
■A:考えてみよう
私たちも時にヒゼキヤ王のように高慢になっていないでしょうか。すべては主から与えられているにも関わらず、それは、自分が努力したから得たかのようにふるまっていないでしょうか。
自分を吟味し、主を証する者として主にすべての栄光をお返しして歩みましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 かよ 】
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始めまして 私は神様の不思議な導きでスウェーデンのストックホルムに
住んでおります。 日本語での聖書の解釈にとっても、うえ乾いております。どうかメイルを送って下さい。
神様の祝福が豊かに皆様の上にありますようにお祈り申しあげます。
感謝します。ストックホルムからもアクセスしていただいていることを知り、驚きと感謝が溢れます。
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