■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書23章12節

★この日、ヘロデとピラトは仲よくなった。それまでは互いに敵対していたのである。

■O:今日のコラム
イエス様の十字架の前に主は、ヘロデやピラトに裁かれることになりました。そしてこの時にこの二人は、それまで敵対していましたが仲良くなりました。なぜでしょうか?それは共通の敵を目の前にしたからです。ピラトは、イエス様をかばいたいという心を持っていましたが、結局十字架につける決定を下したのです。

ここを見ると人が一致するための一つの方法に共通の敵を見出すことがあることが分かります。もう一つの方法は御霊にあって、主にあって一つになることです。どちらが正解なのか?というなら聖書は両方と言っているのではないでしょうか?

世でも、人が一致する方法は、共通の敵を見出すことと、同じ理想を持つことであると言われます。神はなぜ悪霊の存在をゆるしておられるのか?という問いの一つの答えは、それによって私たちが、一致するためということができます。

私たちは、自分たちを責める人、批判する人を敵と思ってしまいます。しかし、本当にその人は敵なのでしょうか?聖書は、私たちの戦いは誰に対するものであると言っているでしょうか?

「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12)

私たちが苦手な人は実は敵ではありません。悪霊、サタンなのです。

たしかにその人の内にそれが足がかりをもって働いているかもしれませんが、その人は敵ではありません。敵意は十字架によって廃棄されました。人に対して敵意を持ってはならないのです。その人自体に嫌悪感や拒絶感を持ってはなりません。持つべきは憐れみです。罪は拒絶すべきですが、人は救われることを願うべきです。敵意を正しく扱いましょう。敵意はここに向けるのです。

「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」(創世記3:15)

敵意を味方に対して持ち同士討ちをするのは、敗北のしるしです。あの大バビロンも最後には支配していた10人の王たちによって滅ぼされ同士討ちをします。イゼベルも自分の宦官が寝返って突き落とされました。旧約の多くのイスラエルの敵が奇跡的な同士討ちによって敗北していきます。身内で争えばどんな国でも立ち行かないのです。

■A:考えてみよう
人に対して敵意を持っていないでしょうか?それはすでに十字架で廃棄されました。それを持っていることは罪であることを認めますか?
敵をはっきり認識しないで戦争に勝てるでしょうか?私たちは、霊的な戦争をしているキリストの兵士なのです。

■P:祈り
天のお父さん、あなたは一人として滅びることを願っておられません。私が、人に対して敵意を抱き、拒絶し、嫌悪したことをゆるしてください。あなたを愛し、人を愛します。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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