■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書16章15節
★イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられるものは、神の前で憎まれ、きらわれます。
■O:今日のコラム
人の前で自分を正しいとする者は、神の目には正しいとはされません。正しい方はただ一人、主だけです。自己義認するなら、恵みによって義とされたことから、外に出てしまっているのです。
人と関係が難しくなった時、『自分の方が正しい。相手の方が間違っている。』と誰もが感じるものです。しかし、そのような考え方の中には、怒りや争いが生まれます。『相手も間違っているが、私も正しくはない』と認める時、速やかな和解がやってきます。なぜなら、それは真理であり、真理は人を自由にするのです。
争いとはならなくても、人から尊敬されなければならない、良い評価でなければならない、と考えて、生きるなら、最終的には、人の評価を恐れて生きるようになり、緩い束縛からギュウギュウに締め付けられるような束縛の中に入れられてしまいます。
ただ主の評価の前に生きるのです。それは真理であり、真理は人を自由にします。私たちをさばく方、つまりジャッジされる方は主だけです。パウロもこう語っています。
「また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、」(第2コリント6章8節)
ただ主の御前に、主の評価のために生きるのです。そうすれば解放されます。そして私たちの道は真っ直ぐにされると箴言にあります。地上での時間を終えて、私たちをジャッジするのは、人ではなく神です。人からの評価のために生きるなら、むなしいもののために生きることになります。
■A:考えてみよう
褒められても、そしられても構わないですか?それでも主からの称賛を求めますか?
■P:祈り
人から褒められても、そしられても構いません。私の評価にキリストの血の力を宣言し、これが主のものであることを宣言します。私の評価も私もあなたのものです。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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