■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書14章29~30節
★基礎を築いただけで完成できなかったら、見ていた人はみな彼をあざ笑って、『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった』と言うでしょう。
■O:今日のコラム
今まで生きている中でやり遂げられなかったことや、途中で挫折してしまったことはないでしょうか?私は、小さなことから大きなことまで本当に多くあります。
例えば、何年も前に英語を喋りたい!と思い決意して買った教材が、新品同様で残っています。英語をペラペラに喋る自分を思い描いて、期待をもって買った教材ですが、1ページも記入することなく挫折してしまいました。それは、期待を持って選びに選んで買ったことから始まり、家に帰り教材を持っている!これがあれば出来る!という、よく分からない満足感で、その日のうちに終了しました。
そんな私ですが、この聖書箇所を読みながら、どんなことがあっても挫折したり途中で諦めてしまってはいけないことがある!ともう一度奮い立つ思いが押し寄せてきました。
主ご自身が与えて下さっているゴールを切るまで、途中で満足したり諦めては絶対に絶対にいけないんです。主ご自身が名前を呼んで救い出し、スタート地点に立った私たちは、主が帰って来られるその日まで、救いの達成に努め、いつか必ずくるゴールを切らなければならないのです。これを逃しては、絶対にいけないんです。必ずこのゴールだけは、どうしても切りたいんです。なぜなら、愛する主といつまでもいたいからです。
この御言葉の箇所で、『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった』と書かれています。どれほど惨めな結果でしょうか。どうすれば完成を見ることが出来るのでしょうか?この箇所の前に、
「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」(ルカ14:27)
とあります。私たちは、自分の十字架を負ってイエス様について行かなければ、決して完成を見ることは出来ないのです。そのため自分に死に、御言葉に従って生きていく必要があります。自分に死ぬことなしに、御言葉に従うことなんて出来ません。なぜなら肉の性質では、決して御言葉を守り行うことは出来ないからです。
「なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。」(ガラテヤ5:17)
日々、自分に死んでいくことは簡単ではありません。しかし、イエス様が迎えに来てくれるゴールを見る時、自分に死んでいくことを選択したい。と思うほどに素晴らしいゴールです。どんな忍耐があったとしても、苦しみや傷みを通ったとしても、決してあきらめてはいけません。
「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。」(ルカ13:24)
私は何がなんでも、このゴールを逃さないように目を覚まし、日々自分の十字架を負ってイエス様について行きたいと心から願います。
■A:考えてみよう
・聖書が言っているゴールを、自分のゴールとしているだろうか?
・自分の希望や望みはどこに置いてあるのだろうか?
・悔い改めて、立ち返らなければならないことはないだろうか?
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 おりえ 】
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