■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書9章26節
★もしだれでも、わたしとわたしのことばとを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。
■O:今日のコラム
聖書は、「主に信頼する者は恥をみることがない」と言っています。もし、私たちに恥の思いがやってくることがあるならば、主に信頼していないからと言えます。恥、プライド、人からの評価。そのようなものを私たちは主に委ねて生きることができます。それは私たちを解放していきます。それは真理だからです。真理は人を自由にします。
ある人がこんな証をしていました。その方は、優秀なビジネスマンです。会社の事業で海外に出張となりました。しかし、クリスチャンであることを明らかにしていなかったので、頻繁に接待で酒宴の席を設けさせられ、罪悪感の中での働きに耐えられなくなって退職されたそうです。しかし、次に就職した企業においては、「私はクリスチャンです」と告白して入社したのですが、全く以前のような罪悪感のある仕事がなくなった、と証していました。
クリスチャンであることを恥とせず告白することは、あらゆる面で私たちを自由にします。そしてそのことのゆえに圧迫を受けるなら、それこそ喜ぶべきです。喜び踊るべきです。天では、私たちの受ける報いは大きいからです。
愛する人を「この人が私の愛する方です」と告白できることは、実は喜びではないでしょうか?小学生は、「あの人のこと、好きなんでしょう?」と友達に見破られると、「違う、違う!」などと、とっさに反応してしまうものです。しかしそこで「そうだよ。大好きですよ。」と言えたらカッコよくないですか?そしてそれを相手が聞いていたとしたら、相手は嬉しいのではないでしょうか?そして、私たちの主は聞いているのです。
主に信頼する者は、恥をみることがありません。たとえ人の目には、「あの人は辱められている」と映るような状況であってもです。
自分の足りなさのゆえに非難されることにも、逃げも隠れもせずに受け止める覚悟をもっているならば、どれほど辱められる状況でも恥の思いはありません。またありもしないことで、罵られても、愛する方のための愛の行為であるなら、恥も恐れもないのです。
■A:考えてみよう
主に信頼して恥を委ねることを今日、何か一つ体験できますように。電車で席を譲っても良いし、いつも挨拶しない人に挨拶するのでも良いでしょう。
■P:祈り
あなたに信頼する者は恥をみることがありません。そのことを悟らせ、体験させてください。私をあなたの愛で覆ってください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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