■S:今日の聖書の言葉
イザヤ書1章10節

★聞け。ソドムの首領たち。主のことばを。
耳を傾けよ。ゴモラの民。私たちの神のみおしえに。

■O:今日のコラム
神様は、ユダの民に対して「ソドムの首領たち」「ゴモラの民」と呼びました。ソドムとゴモラとは不道徳の代名詞です。なぜ神様はそのように呼ばれたのでしょうか。

「…あなたがたの手は血まみれだ。洗え。身をきよめよ。わたしの前で、あなたがたの悪を取り除け。悪事を働くのをやめよ。」(15,16節)

ここからも分かるように、彼らは祭りと安息日、会合の召集、不義ときよめの集会をしていながらも、この世と全然変わらないような歩みをしていました。そのような民に対して神様は「ソドムの首領」「ゴモラの民」と呼ばれたのです。

そして、彼らのささげ物に対して、「飽きた」「喜ばない」「携えて来るな」とし、祭りや集会にも「耐えられない」「憎む」「疲れ果てた」とし、祈りさえも「目をそらす」「聞くことはない」と言われました。

なぜ、それほどまでに主は彼らの礼拝をきらわれたのでしょうか。

まず、イザヤは彼らに対して「聞け」と言いました。「聞け」…これは「聞き従う」を意味する「シャーマ」の複数形です。これはただ単に耳を傾ける、聞くということではありません。「聞く」とはつまり「聞き従う」というところまで意味する言葉です。イザヤがまず彼らに伝えた神のことばは、「聞き従いなさい」ということです。

彼らは、神に聞き従うことなく、いけにえをささげるとか、例祭を守るといった儀式的なこと、表面的なことを重視していました。彼らの歩みは、外側と内側、人に見えることと実際の行い、目に見える礼拝と実際の生活が矛盾していました。

毎日の生活の中で主のことばを聞く、聞き従うことがないので、彼らはソドムとゴモラのように良心が汚れ、基準が曖昧になり、自分たちが感じたり、良いと思う事が善となって歩んでいました。彼らは「見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者」(第2テモテ3:5)の生き方をしていました。このような者の礼拝、祈りを主はきらわれるのです。

「悪者のいけにえは主に忌みきらわれる。正しい者の祈りは主に喜ばれる。」(箴言15:8)

「イエスは彼らに言われた。『あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられる者は、神の前で憎まれ、きらわれます。』」(ルカ16:15)

週に1度礼拝に出席し、それ以外の月曜~土曜日までは、みことばを読まない、読んでも従わない。悔い改めることなく、自分の良いと思う事を行う、自分の感じるまま、自分の義が基準となった歩みをする…果たしてこれは信じていると言えるでしょうか。

神様が求めておられるのは、形式的、表面的なものではなく、私たちが毎日の生活の中で神を恐れ、心から神に聞き従って歩むこと、みことばを愛し、どんな小さなことでもみことばを守り行うこと、人の目に見えないところにおいても、家の中でも、礼拝者として歩むこと…そのような者たちを求めておられるのです。

ヨハネの福音書3章16節を多くの方は暗唱して知っていると思います。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

私たちの罪が赦されて永遠のいのちを持つことができるように、主は救いの道を開いてくださいました。これは一方的な恵みであり、救いの入り口です。ヨハネ3章16節の福音を信じ、受け入れた者は、同時に3章36節のみことばをも受け入れなくてはなりません。

「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる」(ヨハネ3:36)

御子を信じるとは、御子に聞き従うことです。御子に聞き従わない者は永遠のいのちを持っていないのです。なんと恐ろしいことでしょうか。選択は常に二つだけです。聞き従うか、聞き従わないか。その真ん中はありません。二つに一つです。

「もし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、この国の良い物を食べることができる。しかし、もし拒み、そむくなら、あなたがたは剣にのまれる。」(イザヤ1:19)

毎日の生活の中で、神のことばに聞き従う道をたえず選び取っていきましょう。

■A:考えてみよう
・神様はユダの民に対して、なぜ「ソドムの首領」「ゴモラの民」と呼ばれたのですか?
・神様はなぜ彼らの礼拝を憎んだのでしょうか。
・神様が喜ばれるいけにえ、ささげ物とは何でしょうか。
・みことばを聞いたなら、小さな事でも喜んで従いましょう。

■P:祈り
イエス様はご自分を低くされ、人となって私たちのところに来られ、私のレベルに合わせて私の話を傾聴してくださいました。神であるお方が私に価値を置き、私を尊び、私に関心を持ってくださっている…それなのに、私自身、主の前に出ることなく、主の御声を聞こうともしなかったことを赦してください。日々、主の御声に耳を傾け、主から聞いたことばを守り行っていくことができますように、聖霊様、助け導いてください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひさえ 】

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