■S:今日の聖書の言葉
ヨシュア記24章23節
★今、あなたがたの中にある外国の神々を除き去り、イスラエルの神、主に心を傾けなさい。
■O:今日のコラム
シャローム!御国が来ますように!
今日でヨシュア記の通読が終わります。この23章,24章は信仰の大勇士ヨシュアの遺言とも言うことが出来るでしょう。
ヨシュアが最後の最後に「外国の神々を除き去り、主に心を傾けなさい」と語っているのは、人間がいとも簡単に神々をつくり、主以外のものに心を傾けてしまう性質があるからこその警告だと感じます。
「神々を除き去ること」とは、御言葉の朗読、悔い改めの祈りの中で御言葉から、罪について、義について、さばきについて知り、悟っていくことです。
私たちにはどれだけ御言葉からかけ離れた性質があるのでしょうか?かけ離れた性質を御言葉によって造り変えられて行くこと、行いが変わることは、1日2日で解決するような簡単なことではなく、地道な歩みです。
「主に心を傾けること」とは、私たちの思いや考え、また目をキリストに向けることです。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」(ヘブル12:2)
「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」(箴言4:23)
大分前になりますが、神の家族の家で食事を共にする機会に預かりました。食前の祈りの際に、申命記6章4~5節にある、シェマーの祈り「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」この御言葉を全員で告白してから食事をしました。
この時、自分の思考、心が、唯一の神に向き直したことを分かりやすく経験しました。また、同時に簡単に思考も心も神様から離れていってしまうことを悟りました。それですので、私も食事の際、この「シェマーの祈り」を告白することを習慣にしています。
また、少し前になりますが、「聖書的人格教育」というセミナーを受ける機会がありました。その学びの中の1つで心から同意したことが、「正しい行動を繰り返す→行動が習慣になる→その人の品性、人格になる」ということでした。
この「正しい行動」は、まず私たちの思考、考え方を変えるところから始まり、思考、考え方が変わると行いも変わっていきます。つまり、御言葉を正しく知り、私たちの思いや思考が変えられ、御言葉に基く正しい行動が習慣になり、御言葉に基く正しい行動が自分の品性になる。
言い換えれば、これは御言葉が受肉すること、御言葉と1つとなっていくことのプロセスです。
私たちが、御言葉の朗読や悔い改めを、いつも唯一の神に心を傾けることを出来ても出来なくても、繰り返し習慣にするのであれば、それは私たちの品性になっていくことを覚えたいと思います。
習慣になるまでは難しさを覚えますが、自分で自分を訓練し、あえてその中に身を置くことがキリストの品性、人格形成の鍵であることを覚えます!
「私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」(第1コリント9:27)
「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(第2コリント3:18)
■A:考えてみよう
ヨシュアが召される最後に語ったように、私たちも自分の内にある神々を除き去り、心、思考を絶えず神に傾けていくことを選択し続け、選び続けることが出来ますように。
選び続けていく中で、習慣になり、それが私たちの品性、人格へと繋がり、豊かに御言葉の実を結んでいきますように。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まなくぼ 】
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