■S:今日の聖書の言葉
ヨシュア記21章44~45節

主は、彼らの先祖たちに誓ったように、周囲の者から守って、彼らに安住を許された。すべての敵の中で、ひとりも彼らの前に立ちはだかる者はいなかった。主はすべての敵を彼らの手に渡された。主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した。

■O:今日のコラム
ヨシュア記を読む時、私たちはどのように読めば良いのでしょうか。ヒューマニズム(人間中心主義)的な価値観をとなえる神学者たちはヨシュア記の内容を非難し、聖絶や占領といった非人道的な行為をなぜ神が許されるのか。と言います。

ヨシュア記は歴史の出来事としてだけ読むなら、多くの理解できないことがあるでしょう。もちろんこれはイスラエルの歴史の出来事であると同時に、ヨシュア記はユダヤ人が使っている聖書においては「前預言者書」に分類されている書簡です。

ヨシュア記は預言書なのです。ということはこの書簡は、知恵と啓示の御霊の中で預言的な目で読む必要があります。預言的な目でこの書簡を読む時、一つ見えてくるのは敵に占領された私たちの内なる人を勝ち取り、約束の地として主と共に治めていく工程です。

現代に信仰を持つ私たちは「イエス様を信じた。あとは何やっても天国行き。」と、救いをインスタントに考えてしまうことがあります。しかし、新約聖書を繰り返して読むと、あらゆる箇所に「救いの完成(達成)」について記されていることに気が付きます。初代教会において救いはインスタントなものではなく、人生かけて完成していくものでした。

少し今、記事を読むのを立ち止まり自分の内なる人にどのような品性の実が結ばれているのか思い巡らしてみましょう。

愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制、またキリストにある数々の品性が豊かに実を結んでいるでしょうか。それとも、悩みや不安、怒りや憤り、汚れや情欲、いらだちやつぶやき、不満や訴え、その他、数多くの肉の性質が相変わらず私たちの心や思いを占領しているでしょうか。

多くの場合、私たちは皆、後者の肉の性質の方が強く働いていることでしょう。私たちには勝ち取らなければならない占領地が残っています。果てしのない作業のように感じますが、御霊の助けと力により必ず勝ち取ることが出来ます。

ヨシュアとイスラエルの民が剣を持って約束の地を占領して行った様に、私たちは御言葉の剣を持ち、また悔い改めを通して敵の要塞を破壊し、主イエスの血潮によって、敵に荒らされた地が、豊かな実を結ぶ地へと回復して行きます。

そうしてヨシュア記に「主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した。」と記されているように、私たちの人生においても主が約束された御言葉が一つもたがわず、みな実現するようになるのです。

すべての勝利はまず一歩を踏み出すことから始まります。果てしなく大きな課題を見てあきらめてしまうのでなく、今日という日に、主にあって信仰の一歩を踏み出しましょう。

■A:考えてみよう
御言葉の朗読、悔い改め、血潮の宣言、異言の祈り、今日もこの一歩を踏み出して行きましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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