■S:今日の聖書の言葉
ヨシュア記15章63節

★ユダ族は、エルサレムの住民エブス人を追い払うことができなかった。それで、エブス人はユダ族とともにエルサレムに住んでいた。今日もそうである。

■O:今日のコラム
今日とは、2018年8月7日のことではありません。ここでいう今日とは、イスラエル王国が建て上がる前、サウルが王となる以前の日のことです。

この時のエルサレムはエブス人が住んでいました。ヨシュアの時代にイスラエルの国土は勝ち取られていきましたが、エルサレムはまだ、手に入れていなかったのです。そして、そこに住んでいたのはエブス人でした。

エブスとは、高ぶりという意味です。エルサレムは、黙示録を見ると花嫁を意味しているのが分かります。私たちがキリストの花嫁として回復するために高ぶりは、大きな障害となって立ちはだかるのです。

そしてこのエルサレムを勝ち取ったのはダビデでした。この時にも、エブス人は「足のなえた者でもお前を倒せる」と高ぶりの態度をダビデに見せます。しかしダビデは地下水道を通ってエルサレムの町の真ん中に出て、そうしてエブス人を追い出し、そこをダビデの町としました。

地下水道は、現代の地下水道のようなものではなく、人が一人這いつくばってやっと通れる程度の広さしかありません。私たちが勝利していく道は、いつでも身を低くして、へりくだる道であることが分かります。

へりくだる、とは自己卑下して「いやいや私などには、滅相もない」という姿勢ではなく、「あなたが仰せなら、必ずなるでしょう」と慎んで御言葉を受け取る姿勢なのです。

また、地下水道は真っ暗だったでしょう。今のようにiPhoneのライトや、懐中電灯もありません。彼らが手にするのはともしびです。聖書ではともしびとは、主から語られた御言葉を指すのです。一人ひとりが語られた御言葉を握って、真っ暗な世の中をへりくだって歩む姿勢が勝利を得るための姿勢なのです。

私たちは、主が共に、御言葉が共にあるのなら、たとい死の陰の谷を通ることがあっても災いを恐れません。

■A:考えてみよう
今日、何か自分の遭遇する小さな問題にへりくだって、「御言葉にはこうある。この通りになることを信じます。」と宣言し勝利することを味わいましょう。小さくても御言葉で勝利する体験をするならば、ゴリアテを倒すダビデのような信仰の勇士が生まれていくことを信じます。

■P:祈り
主よ。へりくだって勝利する道を選ばせてください。イエス様が十字架という、ご自身を無にしてへりくだり従順になる道を選ばれたように。今日遭遇する戦いの中で、御言葉の剣をふるって勝利する体験をさせてください。あなたが私に勝ち取らせたいものを獲得することができますように。主が共におられ必ず勝利を与えてくださることを感謝します。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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