■S:今日の聖書の言葉
ヨシュア記6章1節

★エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった。

■O:今日のコラム
以前、イスラエルを訪れた時、エリコの街に行きました。ナツメヤシの産地で、地元の人々もエリコのナツメヤシが一番美味しいと行っていました。日本もたくさんの支援をしたので、エリコにはとても親日家の人が多いそうです。街の中では日本の国旗も見ることができました。
このエリコで一番印象的な出来事といえば、今日の聖書の箇所ではないかと思います。当時のエリコの様子を1節から見ることができます。

「エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった。」(1節)

このことから、エリコはとても強固な城壁を築き、その城門も堅く閉ざしていたので、簡単には入ることができないという様子がわかります。人の目には不可能に見えることも、神にとっては可能です。しかし、その戦略は時には人の考えでは理解できないこともあります。

5節後半では、主の将軍がヨシュアの前に現れ、続く6章2節から、ヨシュアにエリコを勝ち取る方法を伝えられます。どのような戦略でしょうか。

(1)宣言

「主はヨシュアに仰せられた。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。 」(2節)

神様は宣言されるお方です。創世記のはじめでも「光があれ」と宣言されました。そして、具体的な方法を告げられます。これは聖書全体に見られる構文です。主ははじめに宣言され、結論を語ってくださいます。それから具体的にどのようにしていくかを明らかにしてくださいます。

あなたは神の宣言と約束を受け取っていますか?みことばの中からまず、神からの宣言とあなたに対する約束を受け取りましょう。

(2)従順

「あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。」(3節)

戦士とは戦いに秀でた者です。彼らの使命は戦いです。しかし、その戦士すべてに神様は何もしないでただ町の周りを一日1回、6日間回れと言われます。戦士たちは「早く戦わせろ!俺たちに敵はいない!」と思ったかもしれません。しかし、彼らはその気持に自制を働かせ、リーダーであるヨシュアの声に従いました。

あなたは宣言が具体化された時に不平を言っていませんか?「わたしはそのような方法は考えていなかった。そんな方法で達成できるはずがない…」私たちは小さな常識で偉大な神の計画を考えようとしてしまいます。残念ながら私たちの考えでは神の偉大な計画すべてを計り知ることはできません。
私たちができるのは神が「しなさい」ということに「はい」と答え行動すこと、「してはならない」ということに対して「はい」と言って自分のやりたいことを脇においてでも神に従うことです。そうするなら、神の方法で生きていくことができます。

(3)上に立つものに従う

「七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。」(4節)

祭司は民のリーダー的な存在です。このエリコの町を回る時、唯一出していい音はこの祭司の角笛の音でした。角笛の音は吹き鳴らす音によって様々な意味があるのですが、主には人々を目覚めさせるという意味があります。

私たちはリーダーに対して、不平不満があるかもしれません。しかし、聖書は「上に立つ権威は神からのもので、それに従いなさい」(ローマ13:1)と語ります。たとえ自分がリーダーより優秀に思えても、へりくだり心からリーダーに従う時、神様があなたを昇進させ、約束を成就してくださいます。人の方法ではなく、神様の方法に従いましょう。

(4)時を悟る

「祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。」(5節)

第七日目は特別な日でした。いままで沈黙を守り、角笛の音だけが鳴り響きながら町の周りを1日1回、6日間回りました。しかし、第七日目はときの声をあげる時でした。
慣性の法則というものがありますが、人が生きていくにも、人生にこの慣性の法則が働くことがあります。毎日同じことを繰り返すことが人間にとっては快適です。
ところが突然、第七日目はやってきます。この日は今までと同じにしていてはいけないのです。神は「ときの声をあげよ!」と言われます。今まで沈黙を守っていなければならなかったのに、突然大声を出すときが来るのです。
もし、一日前にときの声をあげたらどうでしょうか?エリコの壁は崩れなかったでしょう。神様がなさることにはときがあります。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道者の書3:11)

以上のことから、神の宣言を聞き、それに従う決心をし、神様の時に忠実に従うこと。これがエリコを勝ち取る神からの戦略であることがわかります。

■A:考えてみよう
私たちにとってエリコとは何でしょうか。少し時間をとって考えてみてください。
「イエスの血潮を宣言する祈り」の著者、アテフ先生は、善きサマリア人のたとえから、エリコはこの世の中のことを象徴すると教えてくださいました。人がエルサレム(神の臨在の住まれる場所)から、エリコ(この世の中の方法)に行こうとする最中、強盗に襲われてしまいます。

今日という日に、真剣に考えてみてください。「私の中のエリコはなんだろう?」「神の声を聞かないで自分のやり方で進めていることはないだろうか?」

この問いかけはとても大切です。これが自分を捨て、自分の十字架を負い、神に従う訓練です。
これは小さなことから始まります。苦手な上司の指示に喜んで期待以上に応えることかもしれません。夫のことをバカにせず、心から尊敬し、(たとえそのやり方が不器用であったとしても)感謝と尊敬を持って仕える事かもしれません。

私たちの戦いはそういった他人を変えることではなく、自分自身の中にある強固なエリコを破壊することです。まず変わらなければならないのは私です。世界を、他人を変えることはできないかもしれませんが、今この瞬間から自分自身を変えることはできるでしょう。

私たちの心の中にあるエリコは崩されなければなりません。今日の箇所をヒントに、みことばを何度も読み、この箇所をにぎって黙想し祈ってみましょう。人の方法ではなく、ときにかなって美しい神の方法に従って生きていきましょう。全き安息である第七日目は近づいています。

■P:祈り
愛する天のお父さん、あなたの愛がこの朝もあふれるほどに注がれていることを感謝します。私をこの地に遣わし、この時代に生かしてくださっていることを感謝します。それなのに、私はいつも自分のことばかりを考え、神に従えないことがあることを認めます。
その命令は難しいものでも苦しいものではありません。神からの命令は私の喜びであり、生きる道です。今日も語られたみことばに従っていく従順な心を私に与えてください。石の心に変えて肉の心を与えてください。
エゼキエル11:19,20には「わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。 それは、彼らがわたしのおきてに従って歩み、わたしの定めを守り行うためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。」とあります。
神様が神様としてあがめられるため、また神の定めを守り、そして行うためにも、聖霊様、今日の私を助け、義の道へと、第七日目へと導いてください。愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【しゅん】

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