■S:今日の聖書の言葉
テサロニケ人への手紙第一5章16~18節
★いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
■O:今日のコラム
先日、雨の日にバスに子どもたちと乗っていました。そのときに5歳の娘が「お母さんが一緒じゃな~い」と泣き出してしまいました。娘を慰めましたが泣きやみません。あれこれ手は尽くしてみましたがダメでした。
雨の中、少し不機嫌な乗客は満員に近い状態で、周囲の視線が集まってきます。私は、目が合う方々にそれぞれ会釈して、小声で「すみません」とお詫びをしました。雨で服はびしょびしょ。周囲からは白い目で見られ、子供は泣き止まない。「主よ。どうしたら良いでしょうか?」と祈ると、主は、今日の御言葉を語られました。
あらゆる状況を「私たちのために、父が」ととらえるときに、私はこの状況に感謝することができました。この状況の中で「私だって困っているんだ。やるだけのことはやっている。何が悪いんだ。」と心の中で言うこともできるでしょう。しかし、主に目を向けるとき、目に見える状況にはどこにも救いがなくても、へりくだって身を低くし続けることが良いと思え、喜びがやってきました。それはイエス様が取られた態度であり、このことには父からの報いがあると確信することができたからです。
目に見える状況や境遇にはどこにも良いものがなさそうに見えるときでも、その中にあって御心にかなう歩みをするなら父は報いて下さると信じることが、私たちにはできるのです。ハレルヤ!
なぜ喜ぶことができるのでしょう。なぜ祈るのでしょう。なぜ感謝できるのでしょう。それは命をかけて愛してくださっている神が、私たちを知ってくださっているからなのです。この方を知ることのためなら、世で苦しみを味わうことも喜びとなるのです。主がご自身の苦しみを共有し、共感して欲しいと分かち合ってくださっているからなのです。
神がともにおられるので、私たちは祈りを捧げるのです。家族がいっしょにいるから、語りコミュニケーションをとるのと同じように。この方が私を愛し、全力を注いでおられることを確信するので、順風にも逆風にも感謝できるのです。
この方が、命がけで愛してくださっていることを確信するとき、私たちは、つぶやくことなどできません。向かい風の進みにくい状況であっても、神の愛は変わっていません。神は私たちのためにこの状況や境遇を用いられるのです。すべてに感謝しましょう!
■A:考えてみよう
「あのことには、感謝して受けるけど、この部分はいらない」というのは、すべてに感謝していないのではないでしょうか?
そんなときこそ「心地よいことにも、心地よくないことにも、全てに感謝します。この状況の中であなたの御心に沿って、へりくだって歩ませてください。」と祈りましょう。
■P:祈り
主よ。あなたが私を愛してくださっていることを信じます。私を喜んでくださっていることを信じます。だから私もあなたの喜びを悟って、喜ぶことができますように。心地よいことにも、心地よくないことにも、全てに感謝します。この状況の中であなたの御心にそって、へりくだって歩ませてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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