■S:今日の聖書の言葉
マルコの福音書15章34節(エゼキエル書17章)
★そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクダニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか」という意味である。
■O:今日のコラム
みなさんは、今までで誰かと辛いお別れをしたことがありますか?私の娘が生まれた時の事ですが、息子と一緒に、妻と妹を見舞いに行きました。新しい家族に目を輝かせる息子を連れて帰ろうとした時、彼は、産後の入院のため、母としばらくの間別れなければならないことに気づきました。妻が「じゃあね。」と言った後の、息子の表情を今でも忘れる子ができないほど、悲しい顔をしていました。彼の事を見ていると、本当に胸が張り裂けそうでした。(結局、アイスクリームを買ってあげるということでけろっと気持ちが切り替わったのですが…。)
今日の聖書の箇所は、聖書の中心的な部分、イエス様の十字架の箇所です。その恵みの大きさに何をお伝えすればいいか祈っていく中で、今回は父との関係と言うところに目を向けさせられました。
イエス様は、この地上での歩みの中で、父の心と全く一つになって行動されていました。イエス様は天の父とは、切っても切れない親密な関係の中にありました。イエス様は天の父に全信頼と望みを置いていました。それゆえに、イエス様にとっては、十字架にかかられる肉体的な苦痛よりも、天のお父様との関係が断絶するほうが遥かに辛いことだったのです。
その証拠に、全信頼を置いている父に向かって「どうして私を…」と言われたほどです。イエス様は、十字架の後、三日後によみがえらる事をも知っていたはずです。それでいても、この苦痛は耐え切れないものでした。
王の王、主の主、不可能なことなど全くないイエス様が、なぜこの辛い決断を自らすすんでされたのでしょうか。その決断は、一見愚かな選択に思えます。しかし、それは他でもない私たちを愛するあまりの結果なのです。イエス様は、私たちを愛することに於いては、決してあきらめることができないお方です。ご自分のどのような犠牲も厭(いと)わず、まさに命をかけて私たちに愛を示してくださいました。
このイエス様の叫びは、私たちを命がけで愛しているよ!というイエス様からのラブコールであり、天の父に対する全き服従と全き希望を表します。イエス様は命をかけて私たちにプロポーズをしてくださいました。私たちもそれに、命をかけて応えようではありませんか!それが私たち、キリストの花嫁としての使命です。心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くし、力を尽くして、全身全霊でイエス様の愛に応えて行きましょう!
■A:考えてみよう
イエス様は、この世に来られ、十字架の死と復活を通して、天に戻られました。私たちも同様に、この世に生まれ、地に属し、かつては罪の中を歩んでいました。しかし、イエス様を信じた今は、私たちの所属は天に移され、キリストの花嫁としての歩みがスタートしました。私たちがシミもシワもない、キリストの花嫁として完成するには、この世の罪との決別が必要です。
今まで、古い自分の性質が邪魔をして、イエス様との関係がうまくいっていない方もいらっしゃるかもしれません。私たちは、意思を持って御国の基準に自分を合わせていく必要があります。しかし、それは自分の肉の力では行うことはできません。聖霊様の助けが必要です。
今日、自分自身を聖霊様に明け渡すお祈りをしましょう。そして、キリストの花嫁として、この世での花嫁修業を喜んで受け入れていきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【しゅん】
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