■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第一8章2節
★人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。
■O:今日のコラム
聖書には逆説的(物事の自然な流れや成り行き、一般的な考えや常識と逆行するような)な表現が随所に見られます。(例:「後の者が先になる」、「貧しいものは幸い」…等)
使徒17章、パウロは当時学問の町、芸術の街として名高く、あらゆる学問や知識、宗教・哲学思想に秀でているアテネの人々に向かって「今は無知の時代」と言い放ちました。彼らは人間の高尚な思想、知識を持っていても、「神」ご自身を知らず、朽ちていく物を神として形にし、さらには「知られない神に」という祭壇さえ造って、本当の神がどんなお方かを知らずに拝んでいたからです。
神様の栄光は全知に満ちて、知られないままでいるということは本当はあり得ないことですが、人はこの方を自分の知恵で知ることができないようにされています。それは神様の知恵によることであり、神様はご自身を隠されているのです(第1コリント1:21)。また人の中には、神を知ろうとしたがらない性質があります(ローマ1:28~32)。
主ご自身を知るために、私たちの取るべき姿勢、態度が聖書に記されています。
「わが子よ。もしあなたが、私のことばを受け入れ、私の命令をあなたのうちにたくわえ、あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を英知に向けるなら、もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、銀のように、これを捜し、隠された宝のように、これを探り出すなら、そのとき、あなたは、主を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるからだ。」(箴言2:1~6)
みことばの朗読の恵みが注がれている今、私たちはみことばを通して、知識の高ぶりを得るのではなく、「神を恐れる心」と「従順さ」を受け取りたいと願います。神様を知れば知るほどに、自分は何一つ知らない者と等しいということを悟らされ、飢え渇きと喜びをもってみことばに時間を捧げることができますように。
「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」(コロサイ2:3)
イエス・キリスト。このお方こそ私たちの誇るべきただひとりの主です。十字架の愚かさを通して、人の知恵に勝る、神の知恵の確かさを打ち立てられました。
十字架のことばが、今日も神の力として私たちに臨まれますように。
■A:考えてみよう
今日もみことばを通して主を知ることを切に求めていきましょう。
「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。」(ピリピ3:12)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ぺい 】
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