■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第一4章5節
★ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。
■O:今日のコラム
私たち全ての人は必ず、来るべき時に主の御座の前に立ち、そこでさばきと報いを受けることとなります。
聖書全体の中で、特に新約聖書において繰り返し永遠の報いとさばきについて記されているにも関わらず、「恵みの神学」というフィルターがかかって私たちは、その御言葉を見ることが出来なくなっています。
パウロの記した聖書の書簡全体を繰り返し朗読し、黙想するなら、彼が宣べ伝えたキリストの恵みは、私たちが神学や教理のフィルターを通して信じている恵みと大きくかけ離れていることに気が付くでしょう。聖霊様の助けと啓示を受けて、共に聖書に書かれている真の恵みを見い出し、その恵みの中を歩んでまいりましょう。
神の恵みは私たちの罪を赦し、全ての束縛から解放し、私たちの心を平安で満たすと同時に、主に従い、聖さの道を歩み、主に献身して生き、十字架を負いキリストと苦難を共にして生きる力をも与えます。
神の恵みは私たちが本来出来ない力を与える神からの祝福です。肉の性質を持った私たちが、主の御言葉に従うことは本来絶対に出来ません。しかし、神の恵みによってその力が与えられることを感謝します。
恵みを宣べ伝えたパウロが同時に、神のさばきの座に立つということも教えたことを心に覚えましょう。
「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。」(第2コリント5:10)
キリスト教の歴史の中で幾つかの大切な真理が失われてしまいましたが、永遠の報いと神のさばきに対する聖なるおそれも教会から抜き取られてしまった重要な真理の一つです。
上記の御言葉に記されている通り、私たちはみな、キリストのさばきの座の前に立つ時が来ます。その時、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるのです。だからパウロは続く節において、
「こういうわけで、私たちは、主を恐れることを知っているので、人々を説得しようとするのです。」(第2コリント5:11)
と言って、神を正しくおそれかしこむ生き方を教会に教えています。
もう一度聖書を読み直してみましょう。そして、そこから御霊の啓示の光を受けて神のさばきに対する正しい理解を受け取りましょう。これは私たちの永遠に関する非常に重要なテーマですので、真剣に取り組んでまいりましょう。
■A:考えてみよう
聖書を部分的に読むのではなく、全体を続けて朗読する習慣を身につけましょう。
毎日10章の聖書の朗読を続けていきましょう。それは永遠に関する栄光に満ちた報いへと私たちを導く習慣となります。
日々、今という時間を永遠の為に投資しましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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