■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第一1章24~25節
★しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
■O:今日のコラム
神様は、エデンの園の中央に、いのちの木と善悪の知識の木を生えさせました。そして、「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:16~17)と言われました。
蛇がエバをそそのかした時に、エバはその善悪の知識の木を見ました。その木は、見た目に食べるのに良く、目に慕わしかったと聖書に記されています。それゆえに、エバは善悪の知識の木の実を食べてしまいました。
その木の実を食べた結果どうなったでしょうか?蛇がエバに言ったように、目が開け、神のようになり、善悪を知るようになったでしょうか?いいえ、その結果は、神との親密さの断絶です。ローマ人への手紙にこのように記されています。
「その当時、今ではあなたがたを恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:21~23)
私たちが、みことばに従わない生き方をする時、罪を犯す時、その行き着く先は、結局は死です。私たちの感情がどのようなものであろうとも、また状況がどのようなものであろうとも、その意見、考え方がどのようであろうとも、罪の報酬は死なのです。
一見、善悪の知識の木が見た目に慕わしかったのと同様に、従順に従わない生き方の方がもっともで、賢く、良く見えることがあるかもしれませんが、その先に何が待っているのか、しっかり心に留める必要があると思います。今日のみことばにもあるように、神の愚かしさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いのです。
従順の道を歩むならば、私たちの中に平安、喜びが増し加わっていくでしょう。このからだを何に捧げるかは、日々の生活の中でとても大きな決断であると言えます。
日々、みことばを朗読して、自分の心をみことばと照らし合わせましょう。みことばは、私たちの心を照らし、私たちがいのちの道を選んでいるのか、死の道を選ぼうとしているのかを教えてくれるでしょう。
神様の御声に敏感になり、日々聖霊の力を求め、従順の道を歩む力を与えて下さいと祈り求めていきましょう。
■A:考えてみよう
みことばを読み、自分の心をよく見張ろう。
みことばと自分の心を照らし合わせて、日々熱心に悔い改めよう。また、みことばに従うための力を聖霊様に求めよう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈り致します。アーメン。
【 あいこ 】
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