■S:今日の聖書の言葉
申命記32章8~9節

★いと高き方が、国々に、相続地を持たせ、人の子らを、振り当てられたとき、イスラエルの子らの数にしたがって、国々の民の境を決められた。主の割り当て分はご自分の民であるから、ヤコブは主の相続地である。

■O:今日のコラム
神の民にとって相続地は、イエス・キリストです。それぞれに割り当てられた神の似姿を回復することは、それぞれに与えられた分割地を得ることです。見た目や指紋が一人ひとり違うように、召しも一人ひとり違います。

召しとは一人ひとりに語られた御言葉であり、それを相続することは語られた御言葉に従うことです。主は、行いに応じて報いられるのです。その報いの中心は、相続地であるイエス・キリストです。
 
しかし、ここで9節を見ると主も、私たちを相続地であると言われます。主の割り当て地はご自分の民であると。
 
私たちは、イエス様を求めて信仰のレースを走っています。そのゴールはイエス様であり、私たちの永遠の報いはイエス様ご自身です。そのために楽しみながらも忍耐し、走り続けています。そして驚くべきことに、逆に主にとっては、私たちこそが求めてやまない存在であると言われます。
 
世の中では、愛されている人、注目される人をうらやましがります。人々は、誰からも注目されない、知られない存在となってしまっていることに耐えられません。自分なんか誰からも必要にされていない、といって自分の存在価値を見失い、自ら命を絶つ人までいます。
 
しかし、それは偽りです!イエス・キリストは、私たちを愛し、注目し、知ってくださっている方です。私たちは神であるこの方から、「いのちを捨ててもあなたが欲しい」と必要とされているのです。そして実際にすべてを父の仰せに従って捧げられて、私たちを得る道を作られたのです。

この相続地を得るために、つまり私たちを得るために、神である方が命がけであるとは、私たちは一体何者なのでしょう!

■A:考えてみよう
今度は、私たちの番です。私たちはイエス様の切り開かれた道を通り、イエス様にどこまでもついて行って、この相続地を得るのです。

主に信頼して世の物を手放すなら、その領域は神に属するものになります。主に促され自分の計画を手放すなら、その計画は確かなものになります。主に促されて世で持っているいのちを捨てるなら、まことのいのちを得るのです。

この相続を得るためには、世で私たちが持っている物が捧げものとなる必要があります。その延長線上にイエス様と一つになることが待っていることを信じます。
 
朝起きたら私は、自分の霊たましい、体、計画、働き、評価、財産、所有物、頭のてっぺんからつま先までに、イエス様の血の力を宣言し、神のものであることを宣言します。自分が世のものを握ってしまい、捧げられなくなってしまいたくないのです。

■P:祈り
主よ。私の霊、たましい、体、財産、時間、計画、所有物、家族、働き、評価、感情、知性、意思、頭のてっぺんから、つま先までにイエス様の血の力を宣言します。私はあなたのいのちによって買い取られました。これらは全てあなたのものです。あなたのために使ってください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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