■S:今日の聖書の言葉
ローマ人への手紙9章16節

★したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。

■O:今日のコラム
この御言葉が曲解されて、人間の努力には意味がない、と解釈されることがあります。しかしそうではありません。私たちはこのあわれみを受けるがゆえにするべきことがあるのです。努力することに関して聖書はこう語っています。

「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、」(第2ペテロ1:5)

「ですから、私たちは、この安息に入るよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。」(ヘブル4:11)

このヘブル4章11節をみても分かりますが、この努力とは、従順のための努力です。主のあわれみにすがる生き方とは、祈り、聖書からの語りかけを聞き、主が語られたことに従順になり、ただ主に信頼する生き方なのです。そんな生き方に、完全でないにしても入れられていること自体が、主の大きなあわれみと恵みによることであると信じます。

そして私たちには、このあわれみと恵みが絶えず必要なのです。この方がおられなければ、またこの方とつながっていなければ、私たちには何も良いことはできないのです。だから主を恐れ、敬い、信頼し、従順になり、神の憐れみと恵みの中にとどまり続けましょう。

「父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。」(詩篇103:13)

「彼らは、わたしのものとなる。-万軍の主は仰せられる-わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。」(マラキ3:17)

従順こそは信仰の全う、従順こそは最高のへりくだりなのです。神があわれんでくださるからこそ、その神に信頼し応えて従順になる必要があるのです。

ソドムが滅ぼされるときに、ロトはその町に住んでいました。御使いがソドムを滅ぼすことをロトに知らせましたが、ロトはどうして良いか分かりませんでした。しかし神のあわれみがそこに働いたのです。

「しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。-主の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。」(創世記19:16)

さあ、ロトとその家族はあわれみを受けたゆえに、何もしなかったのでしょうか?いいえ、主の仰せに従って、走って逃げたのです。しかし、その仰せに信頼せず、後ろを振り返ったロトの妻は塩の柱になってしまいました。あわれみを受けるからこそ、それに応える信頼のアクションが重要なのです。

■A:考えてみよう
主に信頼し、聞き従う生活をする。自分に語られたことにすぐさま従順に従っていますか?すぐに従順になることは、良いへりくだりの姿勢です。

■P:祈り
御言葉を聞くならば、今日という日のうちに、従順に従うことができるように力を与えてください。あなたの仰せを心に刻ませ、その仰せをすぐに実行する者にならせてください。事はあなたにかかっていますから。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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