■S:今日の聖書の言葉
申命記11章24節
★あなたがたが足の裏で踏む所は、ことごとくあなたがたのものとなる。あなたがたの領土は荒野からレバノンまで、あの川、ユーフラテス川から西の海までとなる。
■O:今日のコラム
私たちが足の裏で踏む所が私たちの相続地となります。このことはアブラハムにも語られました。
では、とにかく歩き回ったらよいのか?というと、そんなことはありません。私たちは、主が語られるならどんなことでもできます。水の上でも歩けるでしょう。でも語られていないなら私たちにはできません。
私たちには、それぞれの人が歩く小道があります。主はその道を教えてくださいます。主は、「これが道だ。これに歩め。」と私たちの後ろから語り掛けて下さっているのです。
「主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください」(詩篇25:4)
主の仰せの道を歩むことが大切です。主はあなたに何を語ってくださっていますか?主は、昨日あなたに何をお語りになったか、覚えていますか?主が語られた御言葉をしっかり握っていないで、それを行うことができるでしょうか?私たちは、家に座っているときも(祈りの家で)、道を歩く時も(生活の歩みの場で)、寝るときも起きるときも(死と葬りと復活を受け取るときも)これを唱えるのです。
道を歩くときも、というのを私は移動の時間に当てはめて、そこでは前日に語れられた御言葉とその啓示された内容をiPhoneのアプリに保存しておいて読み、繰り返し繰り返し唱え、反芻し、自分にしみこませます。
そうして、御言葉が私たちの重荷になり、使命となってそこを歩くのです。そしてそれが自分の歩みとなるとき、相続を得るのです。その部分において御言葉と自分が一体になっていき、イエス様と一体になっていくのです。これは永遠の相続、主と私たちの共に住まう家が建て上がっていくことでもあります。
「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。」(マタイ7:24)
そして、これはどんなに人の目に立派なことをするかではなく、ただ父から語られたことをすることなのです。それはイエス様がされたことです。
「家と財産とは先祖から受け継ぐもの。思慮深い妻は主からのもの。」(箴言19:14)
この先祖という言葉は、へブル語でアバ、つまりアバ父です。相続は、私たちが勝手に作り出せるものではなく、御父が語られた御言葉によるのです。
■A:考えてみよう
自分に語られた御言葉を何度も反芻できる工夫をしましょう。そして大事なのは工夫するだけでなく、それ実際に反芻し続けることでです。
■P:祈り
父から聞いたことに従う歩みに対する飢え渇きが新たにされますように。主の道を歩む歩みが強められますように。天で父の御心がなされているように、地でも、私たちに任されている領域でもなされていきますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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