■S:今日の聖書の言葉
詩篇42篇1~2節

★鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。

■O:今日のコラム
鹿は水を探す名人です。喉が渇いた鹿は、ものすごい集中力をもって嗅覚を働かせ、水を探し出すそうです。私たちも主に対しての飢え渇きを大切にしましょう。

飢え渇きに関して、全く人の努力ではどうにもならないものを感じます。まさに主の恵みです。そのように集中して異言で祈り、主ご自身を求めましょう。異言で一時間祈ったからといって、いつも同じように恵まれるのではないのです。その一時間を主に対してどれだけ集中し、どれだけ主に自分を捧げたか?は受け取る恵みに大きな違いを生むでしょう。

そして、水とは御言葉をも指しています。御言葉に対して飢え渇いて、集中していることは大切なことです。御言葉と御霊に対して、集中し、飢え渇いて求める時間を持ちましょう。

そのように御霊と御言葉に飢え渇いているなら、神の国は豊かに与えられていくことを信じます。

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」(マタイ5:3)

そして、その人はいのちに溢れる者にどんどん変えられていくでしょう。いのちの御言葉といのちの御霊ですから。そしてその人の道は、イエス様をお迎えするために整えられていくのです。

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:6)

いつでも、どこでも主を認める者は、その人の道は真っ直ぐにされます。そうして主の来られる道は整えられていきます。

ここで「認めよ」とある言葉は、ヘブル語で「ヤーダー」です。それは「知る、賛美する」という意味の語です。神を知りたいという飢え渇きが、祈りの場から生活の場に及んで来ると、私たちの道は真っ直ぐにされていくのです。逆に主を知ろうとしたがらないなら、その道は曲げられていきます。

「また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。」(ローマ1:28)

「悪者は高慢を顔に表して、神を尋ね求めない。その思いは「神はいない」の一言に尽きる。」(詩篇10:4)

■A:考えてみよう
どうしたらその飢え渇きが増すのか?が重要ですが、まずは祈る習慣、御言葉を読む習慣をつけることです。また、ここでは多くを書きませんが、悔い改めが重要な鍵であると思います。

悔い改め、飢え渇いて異言で祈り、御言葉を朗読する時間を持ちましょう。

■P:祈り
鹿のような集中力をもって主を求める、御言葉を求めることができるように、あなたの恵みを注いでください。悔い改めの霊を注いで、私を御側に引き寄せてください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

カテゴリー: マナメール

オンライン献金はこちらから。

大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。

オンラインサポートの手順

Comments are closed.

  • 最近のコメント

  • 新宿シャローム教会 大久保会堂


    〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-24アミューズ大久保ビル2F
    TEL 03-3371-7558
  • アーカイブ

  • カテゴリー