■S:今日の聖書の言葉
詩篇29篇2節
★御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。
■O:今日のコラム
シャローム!御国が来ますように!
みなさん。続けているでしょうか?ひれ伏す時間を持っていますか?私は毎日詩篇を読むたびにひれ伏して礼拝することを続けています。本当に主の恵みによってであり、この時間がないと一日が物足りなく感じます。
ひれ伏すことは「礼拝」そのものであります。このダビデの賛歌にも「ひれ伏せ」とあります。それはただひれ伏すだけなのでしょうか?
そこには、聖なる飾り物を着けて…と主の要望が記されてあります。聖なる飾り物。これは何を意味するのでしょう。またどのように身につけることができるのでしょうか。
「力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力とを主に帰せよ。」(詩篇29:1)
ここでは「力ある者の子らよ。」と言われています。力ある者が聖なる飾り物を着けているのです。ある箇所では、
「主をほめたたえよ。御使いたちよ。みことばの声に聞き従い、みことばを行う力ある勇士たちよ。」(詩篇103:20)
とあります。力ある者とは、御言葉の声に従い、行う者であると御言葉は言っています。また、
「花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、生徒たちの正しい行いである。」(黙示録19:8)
ともあります。この正しい行いはどこからくるのでしょうか?御言葉を行う時に、信仰が実態となって身についていくのです。
御言葉を行う、実行する。ということが力ある者と呼ばれる者であり、その力ある者が聖なる飾り物を着ける時に、ひれ伏し主に栄光を帰すことができるのです。
聖なる飾り物を着けることは私たちの特権であり、ひれ伏すことも、もともと私たち神の民に与えられたものなのです。取り返しましょう。奪い返しましょう!力ある者の子ら。御言葉を行う勇士たちの礼拝はこの地に影響を与えるからです。
「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:42)
■A:考えてみよう
なぜひれ伏せないのか。主に栄光を帰す者に造り変えてください!聖霊様、御言葉を悟らせてください。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あはごん 】
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