■S:今日の聖書の言葉
詩篇27篇1~6節

★主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。悪を行う者が私の肉を食らおうと、私に襲いかかったとき、私の仇、私の敵、彼らはつまずき、倒れた。たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。
私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。
それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ。今、私のかしらは、私を取り囲む敵の上に高く上げられる。私は、その幕屋で、喜びのいけにえをささげ、歌うたい、主に、ほめ歌を歌おう。

■O:今日のコラム
私はワンシングというとただ主の御前にひれ伏していること、と思っていました。詩篇27篇4節だけをピックアップするとそのようにも見えます。しかし、この詩篇をもっと広い視点を持って読むならば、もっと深い意味に気がつきます。ひとことでいうならば聞き従うことです。

ベタニヤのマリヤが、主の足もとにひれ伏して御言葉に聞き入っていたことを、ルカの福音書は「ただ一つのこと」(英語のある翻訳ではONE THING)と表現しています。確かにこれは最も重要なことです。信仰も聞くことがなければ始まりません。しかし、信仰は聞くだけで全うできるものではないのです。信仰は行いによって全うされるのです。

「あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、」(ヤコブ2:22)

つまり聞き従うことが重要なのです。聖書は一貫して私たちに語りかけています。聞き従う者は報いを受けるのだということを。その報いとは、主とともに住まい、主と一つになることなのです。

「イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」(ヨハネ14:23)

私たちは、様々な祝福を求めますが、祝福の源であられる方、ギフトでなく、ギフトをくださる方と結ばれることは最高の報いです。それは信仰の全う、すなわち従順、すなわち「聞き」そして「従う」こと、すなわち聞き従うこと、によって与えられていきます。詩篇27篇1~6節をみるとますますそのことが分かってきます。

私たちのただ一つの願いが主の家に住まうことでありますように。それはただ聞くだけの者であっては実現しないのです。日々やってくる心配や恐れを、主を愛し信頼するがゆえに委ねることを学んだ勇士が得ていくものであり、御心を成し遂げるという、霊的な食物に飢え渇きを持って、犠牲を払ってでも成し遂げたいと願う者たちが得ていくものなのです。

■A:考えてみよう
御言葉から聞くことをますますしていきましょう。私たち羊は目は悪いですが、耳が良いのです。羊飼いの声を聞き分けることができるのです。御言葉を自分に聞かせるために朗読しましょう。可能な限り多く。

そして羊は頑固なのです。しかし、私たちの教師である御霊の力によって従順を学んでいきましょう。異言で祈りましょう。可能な限り長く。そして従順しましょう。

いのちの言葉といのちの御霊が私たちに満ちているならば、いのちに溢れる生き方ができるのです。純粋な御言葉を祝うパンの祭り、御霊の注ぎを受ける五旬節を経て、私たちには、いのち溢れる生き方をする恵みが注がれていることを信じます。

■P:祈り
あなたとともに住まうことをただ一つの願いとします。それをただ一つの願いとさせてください。御言葉と御霊に満たされて、いのちにあふれて生きることができますように。あなたとともに住まう家は、あなたの手によって、いのちと平安、愛と喜びの中で建てられるから感謝します。どうぞお建てください。教会を力強くお建てになってください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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