■S:今日の聖書の言葉
詩篇22篇3節
★けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。
■O:今日のコラム
ダビデはどんな状況の中で、神様のことを「あなたは聖であられ」と告白したのでしょうか?
「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。わが神。昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。夜も、私は黙っていられません。」(詩篇22:1~2)
この箇所にある通り、神様が遠く離れてしまい見捨てられた。と感じてしまうほど苦しい中で、「けれども、あなたは聖であられ」と告白したのです。
私たちも人生の中で、なぜ?どうして?という状況におかれることがあると思います。私自身、葛藤の中にいます。なぜ?どうして?と心の中で叫んでいる時にこの箇所を読み、悔い改めへと導かれました。私の状況がどんな中にあったとしても、けれども主は聖であられます。
自分にフォーカスする時、なぜ?どうして?と言いたくなります。ですが、主はいつも正しく、統べ治められるお方、唯一義なるお方です。そのお方に目を向ける時、なぜ?どうして?は消えていき、自分を点検する時となりました。この苦しみや困難は、神様を恐れる歩みをしていて起きているのか?
「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」(ガラテヤ6:7~8)
「主を恐れるなら、いのちに至る。満ち足りて住み、わざわいに会わない。」(箴言19:23)
私は苦しみや困難にあう中で、主を恐れることを学び、主の道へ立ち返ること体験し、主の御言葉の真実さを知ります。私たちの歩みを確かにするのは主です。私たちを誰よりも愛してくれているのは主です。私たちに最善を与えてくれるのは主です。
この主を恐れ、御言葉に従うことこそ、一番の安全な道であり、一番祝福された道なのです。
「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者12:13)
なぜ?どうして?が出る時、けれども主は聖であられます。その主に目を止め、御言葉に立っていきましょう。
■A:考えてみよう
・なぜ?どうして?と思う時、御言葉に向かっているだろうか?
・主を恐れる歩みをしているだろうか?
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 おりえ 】
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