■S:今日の聖書の言葉
詩篇15篇2節

★正しく歩み、義を行い、心の中の真実を語る人。

■O:今日のコラム
今日の箇所は、主と共に住む幸いについて書かれてあります。どのような人が主と共に住むことができるのでしょうか?2節にはこのようにあります。

「正しく歩み、義を行い、心の中の真実を語る人。」(詩篇15:2)

神様が要求される姿がここにあります。「正しく歩み」は他の訳では「完全な道を歩き」と書かれています。神様と共に住む為には「完全な歩み」、「義の行い」、「心の中の真実を語る」ことが必要なのです。

罪ある人間はいくら努力しても神様が要求されるこれらの姿には到達することは出来ません。イエス様が語られた山上の垂訓にある生き方についても同じことが言えます。

山上の垂訓はこの地上においてどのように神の国の生き方をするかが書かれています。どの命令も人間が自分の力で到達することは不可能な命令ばかりです。山上の垂訓の中でイエス様はこのように語っています。

「だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」(マタイ5:48)

御言葉はこのように私たちが神様の前に完全な姿であるように要求してきます。これらのことは私たちをイエス様の十字架へと導きます。

イエス様の十字架の贖いによって、イエス様御自身が私たち人間の為に義となってくださいました。信仰によって信じる私たちはイエス様の義を着たものとなるのです。イエス様の十字架によって主と共に住むことが可能となったのです。

イエス様を信じた後もなお、私たちはイエスキリストの義ではなく、自分で義を立てようとしてしまいます。イエス様から目を離すとすぐに自分の義に頼ってしまいます。ですから、信仰の義を受け取った私たちクリスチャンにとって、次の御言葉が重要になります。

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル12:2a)

私たちの信仰の戦いの鍵はイエス様から目を離さないことです。具体的には、御言葉を絶えず朗読し黙想し続けるということです。

そのことによって真理が私たちの思いを支配し、非真理との区別が出来るようになります。少しずつですが私たちの行いが変わって行き、神様との関係が前よりもさらに深くなっていくことでしょう。主との時間を過ごすことが何よりもの喜びへと変わっていきます。

イスラエルの王であったダビデが絶えず求めたことは何だったでしょうか?富、地位、名誉、全てを持っている王が求めたことはただ一つでした。

「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」(詩篇27:4)

それは、主と共に住むこと、主の御顔を拝することでした。現代に生きる私たちにもダビデのように主への飢え渇きが必要です。

私自身、祈りの家の中で主との時間を過ごすことが何よりもの恵みです。神様との関係が前よりも深まっているのを感じます。主の麗しさに制限はありません。主の麗しさは無限に更新され続けていくのです。何と素晴らしいことでしょう。ぜひ、皆様も祈りの家で主との親密な時間を過ごすことをお勧めします。

今日も1日、皆様の上にイエス様の豊かな恵みがありますように。

■A:考えてみよう
私たちは神の神殿であり、神の御霊が私たちのうちに宿っておられます。エペソ4章には「神の聖霊を悲しませてはいけません」と書いてあります。私たちの生活の中で聖霊様を悲しませている領域は無いでしょうか?

今日も悔い改めと御言葉の洗いによって、私たちの内なる主の御住まいが聖められていくことを祈り求めていきましょう。

■P:祈り

愛するイエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン。

【 あきひろ 】

カテゴリー: マナメール

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