■S:今日の聖書の言葉

エゼキエル書9章4節、マルコによる福音書7章21-23節

★ エゼ9:4 主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行われているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」

★ マル7:21-23 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。

■O:今日のコラム

今日のタイトルを見て、「うわっ、重たい …」て思った方いらっしゃいますと思いますが、タイトルをつけた私でさえも、そう思っていますよ(笑)

「嘆き悲しむ」 って聞くと、重たい、また暗いイメージがします。それも、クリスチャンのメッセージであれば、なおさら、喜びとか愛であるべきだと思ってしまいます。

けど、このエゼキエルの時代、主は嘆き悲しんでいる人々にしるしを与え、彼らを主の裁きから守られました。ということは、嘆き悲しむことも必要であることが言えます。

では、いったい何について嘆き悲しむのでしょうか?

それは、主が忌み嫌うべきことの為にです。主が嫌いなことを一緒に主と心を通わせて嘆き悲しむのです。

では、具体的にどんなことを嘆くのでしょうか?

それは、偶像礼拝。この時代のイスラエルはとにかく偶像礼拝に満ち、それにより暴虐が満ちていました。

この間、しんご先生がメッセージで言っていましたが、偶像とは、実際的にお寺などにおいてあるようなものも指しますが、主よりも大切なもの、またはむなしいものも含まれます。そのようなことを拝む、慕うことは、主が喜ばれないことです。

また、今日の箇所のマルコに書いてある悪を主は嫌います。そして、パウロが書いた手紙の中でも、そのようなものを捨てなさいと言っています(例えば、コロサイ人への手紙3章8節)。

この世では、このような悪が嫌われるどころか、だんだんと普通になってきているような気がします。悪いニュースがはびこっているこの時代、それに慣れてきてしまい、嘆き悲しむこともあまりしなくなっている自分がいることに、気が付かされました。

また、イエス様が言っている通り、私の心から出て来るものは悪。だから、日々、主の前で自分を吟味し、主に立ち返り、聖霊様の力によって清められていくことを祈っています。

■A:考えてみよう

日々、主に立ち返り、聖霊様によってますます清められていくことを願おう。

そして、今日、自分の住んでいる街、また日本にある主の心を聞き、主と共に嘆き悲しむべきことは一緒に嘆き悲しみ、日本が主によって清められていくことを一緒に祈りましょう。

そして、この日本が主によって勝ち取られたことも宣言していきましょう!

P.S. いつもそうなのですが、今日は特に自分で書いていて思ったくらい、長ったらしい分かりづらいデボガイで、すみません。とにかく言いたかった事は、シンプルに主の心を知り、同じ心を持って一緒に祈りましょうってことです!!

■P:祈り

主よ、今日の一日、あなたにあって聖別されたいです。あなたの目から見て、聖く生きていきたいので、聖霊様、助けてください!

日々、イエス様の血潮によって清められていることも忘れずに感謝します!

そして、天のお父様、今、あなたはこの街、この国を見て、どう思われていますか?

あなたの心を教えてください。そして、あなたの心を知り、この街、この国の為に祈っていきたいです。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 かよ 】

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