■S:今日の聖書の言葉
民数記33章51~53節

★イスラエル人に告げて彼らに言え。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地に入るときには、その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払い、彼らの石像をすべて粉砕し、彼らの鋳像をすべて粉砕し、彼らの高き所をみな、こぼたなければならない。あなたがたはその地を自分の所有とし、そこに住みなさい。あなたがたが所有するように、わたしがそれを与えたからである。

55節

★もしその地の住民をあなたがたの前から追い払わなければ、あなたがたが残しておく者たちは、あなたがたの目のとげとなり、わき腹のいばらとなり、彼らはあなたがたの住むその土地であなたがたを悩ますようになる。

■O:今日のコラム
私たちは、約束の地を相続するように召されています。その相続地とはイエス様です。

聖書は、主が相続分である、と語っています。この方の中に、すべての富と知恵があります。そしてこの方とどれだけ一つになっているか?は、どれだけ私たちの報いがあるのか?ともいえるのです。それは私たちが良い行い、信仰の従順に生きるときに獲得されていきます。
 
しかし、良い行いに励んでも、私たちが肉に死んで新しく生まれ変わらなければ、本当の喜びや憐れみの心、平安や解放を味わうことはありません。そこに悩みがあると55節はいいます。肉が放置されているなら、良い行いをすることに喜びがなくなっていきます。とても疲れ、むなしさを覚えていきます。

しかし、神の国は義と平和と聖霊による喜びなのです。人は新しく生まれなければ神の国を見ることができず、肉は、神の国を相続することがないのです。主とともに肉に死ぬなら、栄光によみがえります。私たちの毎日が、死と葬りと復活の毎日でありますように。
 
神を愛することは、自分を戒めることが重要なのではありません。そうだとすると聖書を読んで命令を受ければ受けるほど、戒めが増し、しんどくなっていきます。そうではなくて新しい創造を受け取ることが重要なのです。

父によって新しく生まれたたましいは、イエス様を愛するようになっているのです。愛しているから従順になりたい、愛しているから信頼して捧げたい、と自分が新しく生まれ変わっていくごとに、私たちの人生は喜びに溢れていくのです。

■A:考えてみよう
肉に死んで、約束のものを受け取りましょう。イエス様を愛する喜びを受け取りましょう。

■P:祈り
主よ。肉を捨ててあなたに仕えます。私の捨てなければならない肉は何でしょうか?聖霊様教えてください。私はどうしたらよいのでしょうか?(しばらく黙想してみてください)
主よ。私の犯した罪を告白します。あなたの十字架に持っていきます。あなたの十字架だけが私の救いです。どうぞ赦してください。イエス様の血潮で覆ってください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【まじまこ】

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