■S:今日の聖書の言葉
民数記25章1~3節

★イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと、みだらなことをし始めた。娘たちは、自分たちの神々にいけにえをささげるのに、民を招いたので、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。こうしてイスラエルは、バアル・ペオルを慕うようになったので、主の怒りはイスラエルに対して燃え上がった。

■O:今日のコラム
異教の民、異邦人との結婚を神は禁じておられました。

「あなたはその地の住民と契約を結んではならない。彼らは神々を慕って、みだらなことをし、自分たちの神々にいけにえをささげ、あなたを招くと、あなたはそのいけにえを食べるようになる。あなたがその娘たちをあなたの息子たちにめとるなら、その娘たちが自分たちの神々を慕ってみだらなことをし、あなたの息子たちに、彼らの神々を慕わせてみだらなことをさせるようになる。」(出エジプト34:15~16)

神の戒めを忘れたイスラエルの民が、異教の神を慕ったことのゆえに神の怒りが下り、2万4千人のイスラエルの民が神罰で死にました。イスラエルの民が異教の民の娘たちと交わり、また異教の神を慕うことを通して、神の民はそのきよさを失い、その上に神の怒りが下ったのです。

この「慕う」とは、「くびきを共にする」という意味があります。私たちが何を慕うかで、その慕う対象と同じくびきを負うことになります。くびきを共にする、とは、一緒にくびきを負っているものと同じ方向へと進むことを意味します。

ですから、もし私たちがいずれ朽ちていくもの、滅びに向かっているこの世の何かを慕うのであれば、私たちも共に滅びへと向かい、朽ちていくでしょう。この世にある全てのもの、能力、権力、お金、快楽、名誉、人間関係、暮らし向きの自慢…etcすべてには終わりがあることを私たちは覚える必要があります。私たちはこれらのものを慕うのではなく、治めなくてはなりません。

イエス様は言われました。「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」(マタイ11:29~30) 私たちがこの世の朽ちる何かを慕う代わりに、朽ちることのないお方、主イエスを慕い、御言葉を慕い、また御霊を慕うならば、主が永遠なる方であるゆえに、同じくびきを負う私たちも共に永遠へと入れられていくでしょう。

サタンの罠はとても巧妙です。イスラエルの民に、別の民族があからさまに戦いを仕掛けて来る時があったのと同じように、敵が分かり易く攻撃してくる場合もあります。私たちがイエス様の御名の権威によって敵に立ち向かうなら、相手に勝ち目はありません。サタンはそのことを知っているので、手を変え品を変えで聖徒たちを攻撃します。

私たちの敵は多くの場合、自分の手を汚さずに、私たちの耳元で偽りをささやき、誘惑し、騙し、喜びを奪ったり、生ぬるくさせたり、恐れさせたり、神を疑わせたりして、神の目的から私たちを少しずつずらしていきます。

イスラエルの民は神の戒めを忘れ、この後も異邦人との交わり(結婚)を繰り返していきました。後になって、エズラ記やネヘミヤ記の時代、バビロン捕囚からの帰還後になって、異教の民との交わりからイスラエルをきよめるために、多くの者が自分の妻(外国の女)を去らせなくてはなりませんでした(エズラ記9~10章参照)。これには大きな痛みが伴ったであろうと思います。

時間が経てば経つほど、また深入りすればするほど、それらを断ち切り手放すのには大きな痛みが伴うことを、私たちはここからも学ぶことが出来ます。

朽ちていく「くびき」を負っているなら、一日でも早くそのくびきから抜け出たほうが良いでしょう。

■A:考えてみよう
イスラエルの民の内に、異教の娘たちを通して、異教の神を慕う心が忍び込んで来たように、私たちの心が神以外のものを慕うようにと、誘惑され騙されることがないようにしたいと願います。

このような敵からの攻撃は、派手ではなく、少しずつ私たちの内側に音を立てずに蔓延していくものです。ですから、私たちは今日という日に、心を見張り、神以外のものを「慕う」部分があるか否かを見分けなければなりません。

自分の思いが多くの時間を割いているもの、それが私たちの心が慕っているものです。この音無き戦いは、主が来られる日まで続くでしょう。

その戦いの勝利の秘訣はなんでしょうか?それはシンプルです。イエス様のくびきを負い続けることです。はい、、、シンプルであっても、簡単ではないかも知れません。イエス様だけを慕うこと、イエス様のくびきを負うためには、私たちの決心が必要です。結婚の決心に似ています。「この御方を見つめ続けます!このお方以外のものを慕いません!それ以外のものは治めます!」という決意と、そのための努力も必要でしょう。

けれども、私たちが主だけを慕い、主イエスのくびきを負うことを通して、私たちは滅びへと向かうくびきから免れる事を思い起こしましょう。滅びゆくものを慕う時、私たちのたましいは常に振り回され、虚しさや恐れがやってきます。けれども、主を慕うなら、私たちの心はいつでも平安と喜びに満たされることを感謝します!

「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:29~30)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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