■S:今日の聖書の言葉
民数記19章15節

★ふたをしていない口のあいた器もみな、汚れる。

■O:今日のコラム
フタというとどんなイメージをされるでしょうか?このフタという語はツァミードなのですが、ブレスレッドと訳される語なのです。ヒモを使って布でカバーする感じなのだと思います。

フタをしていることで器は清く保たれ、フタをしないと汚れると律法は語っています。家庭でも、ご飯をよそってから長い時間食べない時にはラップでカバーしますよね。それはホコリが入らないようにするためです。

ブレスレッドも私たちをきよく守るのです。最初にツァミードという語が出てくるのは、イサクの花嫁として見出されたリベカに対して、アブラハムのしもべが「この娘だ」と確信した時にリベカの腕につけた腕輪です。

「らくだが水を飲み終わったとき、その人は、重さ一ベカの金の飾り輪と、彼女の腕のために、重さ十シェケルの二つの金の腕輪を取り、」(創世24:22)

この腕輪を見るたびにリベカは、自分が嫁ぐ身であることを思い起こされたでしょう。そして、他の男性に心を向けるなら良心が痛むでしょう。

ふたも同じように私たちを守ります。フタは器(私たち)に入る物をコントロールします。汚れたものが私たちに入ることをコントロールしましょう。何が入っても主にあって大丈夫だから、そんなもの気にしなくていいんだよ、というのは聖書的ではありません。そのツケは払うことになります。

聖書は、聞くことが私たちを養い(信仰は聞くことから)、見るものも私たちを養う(目が健全なら全身が明るい)、と言っています。良い言葉を聞けば力を受け、悪い言葉を聞けば落ち込むのです。

TVドラマを見ていれば、口からはドラマのセリフや主題歌が出てくるものです。しかし、御言葉に聞き入るなら私たちの口からは良い言葉が溢れ、口の言葉は行いの実を結ぶのです。花嫁の啓示に満ちた雅歌にこうあります。

「私の妹、花嫁は、閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉。」(雅歌4:12)

私たちは見たもの、聞いたものが心に蓄えられ、言葉は、心から出てくるのです。何を見るか?何を聞くか?に無頓着なのは花嫁としてふさわしくありません。世にあっても花嫁は結婚に向けて、食べ物に気をつけて太らないように自制しているのではないでしょうか?

■A:考えてみよう
何を見るか?何を聞くか?に心を配りましょう。御言葉なるイエス様を見つめ、御声に聴き入りましょう。

■P:祈り
あなたを求める飢え渇きを新しくしてください。あなたを見る目が開かれますように。御声を聞く耳が開かれますように。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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