■S:今日の聖書の言葉
民数記8章2節
★アロンに告げて言え。あなたがともしび皿を上げるときは、七つのともしび皿が燭台の前を照らすようにしなさい。」
■O:今日のコラム
燭台は、聖霊の炎が灯されています。7つのともしびは、神の7つの霊です(イザヤ11章)。燭台は前を照らすように毎朝整えられるのですが、これはパンの机と、机と燭台の間の通路を照らすためです。
パンとは御言葉を表しています。御言葉は、知恵と啓示の御霊によらなければ深く理解することはできません。そして御霊の力を帯びた言葉によって道は見えるようになるのです。
私は、信仰を持ったばかりのときは、今のような聖書の読み方や探求をしませんでした。それでも主は、私を御側に近づけ、進むべき方向を教えて下さっていました。それは言ってみればモーセの幕屋で言う所の大庭の領域です。そこでは太陽の光があるので、聖所はこっちだ、とはっきり分かるのです。
しかし奥に進んでいくと聖所に入るのですが、ここは真っ暗です。ここで自分に道を悟らせてくれるものは、御言葉と御霊なのです。主の御言葉は私の道の光です。また、御霊は「ここが道だ。ここに歩め」と教えてくださるのです。
御側に近づけば近づくほど、私たちは御言葉と御霊だけが頼りになっていくのです。ただ主の御声に頼り、主に聞き従うために、耳を傾けましょう。そしてそれは朝に整えられますから、朝に御言葉を読むことは良い事です。私も朝に一章だけでも読むことを心がけています。5分でも祈ってから家を出ることを心がけています。もちろん牧師なので教会に行っても聖書は読めるし、祈ることはできるのですが、朝一番を聖別して神と一対一の時間としたいのです。
神の国とその義とを第一に求めなさい、と命じられていますが、「求める」という言葉と「朝」という言葉は同じ語根を持っています。朝に主を求めることは重要なことです。主の前に勇敢な兵士は、夜明け前から喜んで仕えるのです。
そしてこの燭台を灯すための油は、神の民が皆それぞれで持って来て捧げるのですが、砕かれたオリーブからわずかに流れ出る最上のオリーブ油でなければなりません。EXバージンオリーブ油どころではない貴重さです。それは私たちが主の導きを求め従うための準備は、砕かれた心であるということです。砕かれることを拒んで御言葉を読み、祈っても、肉の願望が反映した読み方、祈り方になってしまうことがあります。肉の思いは、神の御思いに反するのです。
■A:考えてみよう
朝を聖別し、自分の心の王座を主に明け渡す祈りをしましょう。また5分でも異言で祈り、1章でも聖書を読みましょう。
■P:祈り
主よ。あなたこそ我が霊の救い主、たましいの主、からだにおいて王です。イエス様の血を私と家族、教会に宣言します。すべてあなたが造り、いのちをかけて買い戻されたものです。私の時間も、経済も、働きも、計画も、評価もあなたのものです。この朝を捧げます。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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私が通わせて頂いている教会に於いて進められている祈りの勇士の末席に
連なり、牧師先生ご家族・信徒の方からの祈祷依頼に沿って祈祷させて戴く
過程で、いのちのことば社の方々刊行による「祈りのちから」(クリス・ファブリー氏著)の小説に書かれている祈りのノートに記される根拠聖句検索の際、大きな助けばかりでなく、毎朝の祈りに於いて貴重な示唆を賜り心から感謝します。
主任牧師稲福先生ご夫妻のご尽力に心から敬意を表します。